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上顎洞癌になった日から。

若くして上顎洞癌(じょうがくどうがん)という難病になってしまった妻をもつ夫の記録です。 この難病を生活の質を保ちつつどう治療し、克服するのか?この体験記を通じて同じ病気になった人への生きるヒントになれればと思います。

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  • 05/05/18:08

衝撃的な結果。

9月12日。今日は昼すぎから『PET-CT』による検査のため、数時間前から水やお茶意外は口にできない。
妻は早朝のうちに軽い朝食を済ませて、昼からの検査に備える。
この検査によって追加治療の方針が決まるのだが、それよりもPET-CTによる腫瘍の反応が気になっていた。

3時間ほどかけて検査も無事に終了。
今日中に検査結果が出て、それをもとに先生から説明があるとのことだった。
それまで時間があるということで、夕方に早めの夕食を食べに出掛ける。
一時間ほどで病院へ戻ると、ちょうど指定された時刻だった。
しかし、まだ時間がかかるらしく、しばらく待つことになった。
今にしてみれば、今回の検査結果は先生方にも予想外であったため、その原因究明に時間がかかってしまったのだと思う。

N先生の準備が済み次第、看護士さんが病室まで呼びに来てくれるということで、二人で待つことにした。
すると、間もなくF先生が直接病室まできた。

まず先に今回の検査についての結果報告だけを伝えにきてくれたのだ。
結論からいえば「治療前に撮ったPET-CTの結果とほぼ変わらない」という思ってもいなかった、まさに想定外の結果報告であった。
それは形状、大きさはもちろん、PET-CTによる発光についても変化がみられないというのだ。

果たしてそれはいったいどういうことなのか?
検査結果が以前と大差なくとも、今回のケースでは成功という意味なのか。
治療は順調だったが、効果が今ひとつということなのか。
それとも治療自体が失敗に終わったということなのか。
その言葉からだけでは、それが何を意味しているのかはわからなかった。
詳しいことはN先生から、画像を見ながらの説明がある、ということでN先生のもとへと行く。

N先生の前にあるPCモニターには、今回のPET-CTの画像が映し出されていたが、確かに左頬辺りの腫瘍部分がPET特有の発光を表していた。
そして、治療前と治療後の2つの画像を並べることで、その変化のほどが簡単に確認できた。
先生方の説明を受けなくとも、素人にさえその差が大してないということ一目瞭然だった。

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不穏な気配。

8月31日。今日から陽子線の照射範囲を狭めた治療を始める。
今までは左眼の周囲が入る照射だった為、左眼に様々な副作用が出ていた。
涙と目ヤニが出やすくなったり、炎症からくる痛みや、眉毛や睫毛が抜けるなどの症状が出ていたのだ。
しかし、多少の副作用が出たとしても、眼の周囲に対する照射は、再発の確率を少しでもなくす為には欠かせないことだった。

今回からその範囲が狭くなり、眼球へのダメージがほぼなくなるだろう。
これで、副作用による症状も回復へと向かうはずだ。

9月7日。この日は、今までの治療成果を見る為にCTとMRIの検査をした。
この検査結果によって、今後予定されている残りわずかとなった治療計画を、再度検討し微調整するのだ。

入院開始から比べると、妻の体調はあまり良い状態とは言えなかった。
やはり、陽子線の副作用だけではなく、抗がん剤の副作用が徐々に出始めていたのが大きな原因だった。
通常の全身投与ではなく、動注療法による比較的副作用のでない投薬方法ではあったが、やはり少しづつ身体に蓄積されていくことによってダメージを受けていたのだ。
この日、妻はここへ来て初めて嘔吐し、改めて抗がん剤の副作用は健在であることを再認識させられた。

9月8日。昨日のCTとMRIの検査結果は、あまり良い状態とは言えなかった。
腫瘍の縮小が思ったほどなく、予想していたよりも大きく残っていたらしい。

そして、この日を境に、ここまで順調かと思われていた治療に不穏な空気が流れ始める。

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陽子線の効果。

陽子線の照射は平日の月曜~金曜まで、週五回のペースで行い、それに併せて動注療法も毎週金曜、週一回づつ投薬されている。
当初の治療計画通り、順調にスケジュールがこなされていった。

その間、何か特別な変化があるわけでもなかったが、妻は逆にそれが心配なようだった。
陽子線治療自体には、照射されることによる痛みなどの感覚がないので、本当に有効な治療がなされているのか、事前に説明を受けてわかっていたとしても不安になってしまう様だ。
確かに、本人からしてみれば生死に関わるような重大な病気に対して、実際にやっているんだかわからないような治療では心許ないのかもしれない。
しかし、それでもこの治療を信じてやっていくしかない。
私は妻に、大丈夫かどうか聞かれるたびに、「考えられる最高の治療だから大丈夫」と勇気付けた。

入院期間も長くなってくると、治療以外で一人きりでいると、どうも余計なことを考えすぎてしまい、いろいろと不安になってきてしまうらしい。
前回の病院での入院とは違い、気軽に見舞いに行ける距離ではなくなってしまったため、その辺りのフォローが難しかった。
しかし、この病院は病室環境が良く、インターネットも自由にできるため、スカイプを使用することでかなり気が紛れた様だった。

スカイプ(Skype)とは、フリーのビデオチャットソフトで、これをお互いのPCにインストールしてWebカメラを繋げれば、いくら話しても通話料無料のテレビ電話ができるようになるのだ。
これを存分に利用し、子供たちとも大きな画面で顔を見ながら話すことができた。
相手の表情を見ながら会話ができるは、妻の顔色や体調なども確認できるので、電話よりも便利だった。

8月28日。また久しぶりに子供たちを連れて病院まで訪れた。
治療もすでに予定の半分以上を終え、残すところあと一息といった感じだった。
この日は4回目の動注療法による抗がん剤の投与を行う日でもあったが、やはり回数を重ねるごとに副作用が強くなってきてる様だった。
まだ嘔吐するまでではないが、気分が優れずに食欲が出ない状態が続いていた。

そして陽子線治療による副作用も、思いのほか出てきていた。
前回よりもかなり皮膚の赤みが増し、まるで熱湯をかけられたヤケド状態の様で、痛々しいく感じるほどだ。
やはり妻は、普通の人よりも皮膚が敏感なようで、その副作用が強く表れているようだった。
この皮膚の状態は、いずれ治るというが、これで本当に元の状態に戻れるのか不安になってもおかしくないだろう。
だが、照射をしない土日のわずか2日間だけで、かなりの回復をみせる。
それを考えれば、個人差はあれど数ヶ月でキレイになるというのも頷ける話しだった。

ここまでは、腫瘍本体にピンポイントで照射するというよりも、眼球の周囲を含めた大きな範囲で陽子線治療を行ってきた。
そのため、目の痛みなどの副作用も出てきていたが、次の照射からは範囲を狭めた集中的な治療へ移行する。
これで目の痛みなどは回復へと向かうはずだ。

大丈夫だとわかっていても、治療成果がはっきりと確認できるわけでないため、誰もが不安を抱えていた。
しかし、そんな不安をよそに、その治療も残すことろあと僅かに迫っていた。

陽子線治療を開始してから、すでに一ヶ月が経過していようとしていた。
 

動注療法の威力。

8月10日。この日『超選択的動注化学療法』による、抗がん剤投与が開始された。
投与される抗がん剤は、TPFなどの多剤併用療法ではなく、『シスプラチン』単体のみだ。
そして、副作用を抑える中和剤としてチオ硫酸ナトリウム(デトキソール)を併用する。
これは、F先生らが行った長年の臨床により、従来使用されていたカルボプラチン(CBDCA)よりも格段に治療効果があることが確認されたからだ。

まず先行して中和剤を腕の静脈より点滴する、その後しばらくしてカテーテルを通して動脈へとシスプラチンが投与された。
副作用は全身投与よりも遥かに軽いとの話しだったが、それがどのくらいのものか予想できなかったため、多少の不安があった。
前回の全身投与を行った副作用の半分程度だったとしても、やはりその苦しみは平常時に比べると辛いものだろう。

その副作用が現れるまで、前回のケースでは半日ほどだったが、今回は丸一日経過しても、それほど急激な変化は訪れなかった。
これはもしかすると、かなり副作用が軽減されているのでは?と期待したものの、それにしては軽すぎる様な気もする、と言った戸惑いも隠せなかった。
しかし、やはり取り越し苦労のようで、2日経過しても、特に気分が悪くなって嘔吐したりなどの大きな副作用はなかった。
多少の倦怠感や気分が優れないことはあったようだが、もしかすると、「副作用の強いシスプラチンを投与した」という気分的なものかもしれない。
とりあえず、思っていた以上に副作用が軽減できることがわかり一安心した。

だが、これから何度も抗がん剤投与を続けていけば、それだけ体内に蓄積され、正常細胞にダメージを与える率も大きくなるはずだ。
それでも、動注療法の効果の大きさを考えれば、可能な限り、限界値まで『シスプラチン』を投与すべきだろう。
日本でも90年代より動注療法の臨床が各方面で盛んに行われており、まだレビデンス(根拠)が確立していないものも多いが、近年になって様々なデータが揃いつつあるのだ。
その中の一つに『シスプラチンの投与量』に関するものもあり、総量450ml以下より600ml以上が治療成績が良いなどの検証結果もある。
妻はまだ若く、回復力もあるため、投与したくてもできない人よりも有利であり、希望が持てるのだ。
ただ、投与を続けることで耐えられないほどの苦痛を伴うようであれば、無理にする必要はないとも考えている。
身体的に「できる」と、精神的に「できる」が両立していなければ、本当の治療とはいえないからだ。

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不安要素。

8月5日。陽子線治療を始めてから数日が経過していた。
今のところ副作用といえば皮膚表面が、ほんのり赤くなってきた程度だった。
今後照射回数を増やしていけば、日焼けしすぎた時のようになり、若干腫れも出てくる。
X線での放射線治療ではポピュラーな副作用だが、陽子線も例外ではなく避けては通れない症状だ。
ピークを調整できるとはいえ、必ず皮膚表面は通過しなくてはならないからだ。

顔の赤みは個人差によるが、およそ数ヶ月から一年ほどで完全に消える。
しかし、それにしても妻の場合は少しその副作用が出るのが早いようだった。
どうやら陽子線治療の際に化粧をしたまま行ったのがいけなかったらしい。
通常は化粧をしたままでも問題ないとの話しだったのだが、その化粧に紫外線カットの成分が入っていると、何らかの反応を起こし、皮膚表面に色素が沈着しやすいとのことだった。
恐らくこの様な例はどこを探しても情報として出てこないだろう。
『陽子線治療』に関しては、まだまだ未知な部分が多いと改めて実感した。

8月6日。通院による陽子線単体の治療から、動注化学療法も含めた併用療法へと移行するため入院することになった。
『陽子線治療センター』は病床数が少なく、今現在は満床状態のため、とりあえず隣接した病院の入院病棟へと入ることになった。
この病棟は全て個室となっており、風呂、洗面所、トイレ、電話、テレビ(ビデオやゲーム付)、インターネットなどの充実した設備が整い、広さも十分にあった。
しかも、ベッドの差額代金も都市部の病院と比べると、半額かそれ以下というリーズナブルさで、環境的には申し分ない。
ここで数日間過ごしながら、陽子線治療を受ける際はここから通院する。そして、あちらの病室が空き次第移る予定だ。

8月8日。この日いよいよ『動注療法』のためのカテーテル挿入手術が行われる。
この手術自体は治療ではないが、『動注療法』には絶対にはずせない処置であり、必要不可欠なものだ。

前日にその準備として、髪をカットした。
妻の場合、左上顎洞に対して動注療法をするので、左側面の耳周辺を2ブロックにして刈り上げた。
上の長い髪を下ろせば、うまく隠れるので見た目は変わらないだろう。
髪の短い男性などは、片方だけ短いとバランスがおかしくなるので、大体の人が坊主にするらしい。

動注療法のカテーテル手術は、基本的に危険な手術ではないが、いくつか不安要素もある。
まず、カテーテルが挿入できるかどうかという点や、もしうまくカテーテルが挿入できたとしても、うまく薬剤が腫瘍まで届くかどうか等である。
血管にも個人差があり、カテーテル挿入に耐えられないものや、特異体質などで一般的な血管組織ではない、複雑化した血管であった場合は、目的とする血管にカテーテルを挿入すること自体ができない場合もあるらしい。
もしうまくカテーテルが挿入できたとしても、その血管が腫瘍へと到達していない場合も意味がない。
だが、いずれの場合も余程の偶然が重ならない限り大丈夫と言えるだろう。

私が一番懸念していたのは、カテーテル挿入時に、血液の塊などが脳血管に流れて詰まり、脳梗塞などを引き起こすケースだった。
これは数パーセントとういう低確率ながら、実際に報告例がある不安要素であった。
数パーセントとはいえ、しょせん確率論である。例え100万分の1でも当たる時は当たってしまうものだ。これほど信用性のないものはない。

だがこれに関しては少し安心できる要素があった。
それはこの手術をするのが、あのF先生とN先生だったことだ。
動注療法のパイオニア的存在といわれる先生は、症例数世界一ともいわれる数をこなしているのにも関わらず、手術の成功率は100%を誇っていた。
どこを探したとしても、これ以上の安心を得られる先生方は他にいないだろう。

しばらくして、流石というべきか、当然のように手術は無事に成功した。

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