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束の間の団欒。
7月24日。陽子線治療を実際に行うまで、数日の空き時間があった。
綿密な治療計画を立てる必要があるのだが、それにはおよそ一週間ほどかかるのだ。
次に妻が入院する際には、ここからは遠方なため気軽にお見舞いに行くことはできないだろう。
これまでの病院は、検査や診察などの重要なときには仕事を休んで行き、見舞いは仕事が終わってから行くようにしていた。
幸い私の会社はフレックス制のため、早朝出勤すれば夕方には仕事を終えることができたからだ。
その為、仕事場からは車で高速を利用して4~50分程ということもあり、毎日病院へ行くことができた。
その時も、今まで出産時以外でこんなに長く家を空けたことはないだろうから、きっと精神的にも不安だったと思う。
だからこそ少しでも気が紛れればと思い、できるだけ多く病院へと行きたかった。
子供たちも毎日は無理だったが、休みの日は必ず一緒に見舞いに行くようにした。
しかし、平日は仕事があり、その後も夜まで病院へと通う日々が続いていたので、子供たちの面倒を見ることが出来なかった。
そこで、学校などに行く準備や日中の面倒、夕飯などの一切の世話を、義妹夫婦の好意に甘えて任せることにした。
病院の見舞い帰りに義妹宅に寄って子供たちの様子をみていたが、下の娘だけが自宅でないと眠れないというので連れて帰り、朝にまた送り届けるという生活を繰り返した。
義妹夫婦が近所に住んでいることも幸いして、子供たちの日常をそれほど変化させることなく過ごすことができた。
数日後には今まで以上に長期入院をするが、その時にはまたお世話になるとことだろう。
非常にありがたいと感じる一方で、負担をかけてしまうのを申し訳なくも思う。
義妹にも小さな子供が2人いるので、計4人の子供の面倒を毎日見るのはそうとう大変であり疲れるはずだ。
しかし、みんなで協力し合って、少しでも早く妻の病気を治すことが先決であり、それが恩を返すことにもなると思う。
元気になった妻とともに、これから長い時間をかけてゆっくりと恩返しをすればよいのだ。
妻は家族みんなに愛され、必要とされているのだと、周囲の人たちの協力する行為によってまた再認識させられた。
妻が入院し治療が始まったら、子供たちは滅多に会えなくなるだろう。
それまでの数日間は、子供たちにできるだけ甘えさせておく。
休みの日には家族で出掛けたりして、束の間の一家団欒を満喫した。
7月29日。楽しい時間というのは、本当にあっという間だ。
この日、いよいよ本格的な治療をするため『陽子線治療センター』へと出発する。
妻が治療を終え、再び家に戻ってくる時は必ず完治していることだろうと信じていた。
再入院と不安要素。
7月3日。仮退院後、すっかり体調も戻り、いつもと変わらない日常を過ごしていた。
しかし、この日は先日の入院を思い出させる副作用が突然妻を襲ってきた。
朝起きると普通の抜け毛では考えられないほどの大量の髪の毛が抜けていた。紛れもなく副作用の『脱毛』だ。
その日を境に毎日大量の毛が抜け落ちていった。覚悟はしていたようだが、やはり女性だけにショックは隠せないようだった。
『シスプラチン』投与から18日目、仮退院してからから9日目のことである。
抗がん剤はその投与した種類の総量によって、次に投与するまでに身体機能の回復を図るため、決められた期間を空けなければならない。
次に投与できるまでしばらく間があるため一旦仮退院し、次の入院まで久しぶりの我が家を満喫して、心身ともにリフレッシュするはずだった。
仮退院してきた当初は、長く離れていた子供たちとまた寝食を共に出来るという喜びに満ちていた。
しかし、しばらくするうちに、体調が思わしくない時間が多くなってきた。むしろ入院前よりも悪いような気さえした。
癌細胞にはある一定のサイクルがあり、休眠期と活動期を繰り返す。
放射線治療などは、この活動期にあわせて治療すると効果的と言われており、薬などでサイクルを調整したりするところもある。
私は、もしかしたら妻の癌細胞が今その活動期にあり、腫瘍が大きくなる傾向にあるのではないかと考えた。
というのも、妻の癌細胞にしてみれば、何年か、もしかしたら何十年かかけてここまで大きくなったが、それまで特に何かされるでもなくヌクヌクと育ってきた。
しかし先日、生まれて初めて大ダメージを受けるような直接的な攻撃をされたのだ。
攻撃を受けてる間は、その効果によっておとなしくなったが、攻撃が一旦止んだことによって、反動をつけたかのように一気に活動期に入り活発化したのではないだろうか。
実際に、妻はどんどん腫瘍が大きくなっているような気がすると、眼の奥の痛みや頭痛などの症状を訴えた。
こうなると、何も治療をしていない今の状態が、妻の不安な気持ちにより一層と拍車をかけた。
そして一刻も早く治療を再開したいと願うようになり、また精神的に追いつめられるような悪循環へと向かってしまう。
次の再入院まで数日と迫っていたため、何とか励まし乗り切るしかなかった。