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上顎洞癌になった日から。

若くして上顎洞癌(じょうがくどうがん)という難病になってしまった妻をもつ夫の記録です。 この難病を生活の質を保ちつつどう治療し、克服するのか?この体験記を通じて同じ病気になった人への生きるヒントになれればと思います。

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  • 05/19/07:35

再入院と不安要素。

7月3日。仮退院後、すっかり体調も戻り、いつもと変わらない日常を過ごしていた。
しかし、この日は先日の入院を思い出させる副作用が突然妻を襲ってきた。
朝起きると普通の抜け毛では考えられないほどの大量の髪の毛が抜けていた。紛れもなく副作用の『脱毛』だ。
その日を境に毎日大量の毛が抜け落ちていった。覚悟はしていたようだが、やはり女性だけにショックは隠せないようだった。
『シスプラチン』投与から18日目、仮退院してからから9日目のことである。

抗がん剤はその投与した種類の総量によって、次に投与するまでに身体機能の回復を図るため、決められた期間を空けなければならない。
次に投与できるまでしばらく間があるため一旦仮退院し、次の入院まで久しぶりの我が家を満喫して、心身ともにリフレッシュするはずだった。

仮退院してきた当初は、長く離れていた子供たちとまた寝食を共に出来るという喜びに満ちていた。
しかし、しばらくするうちに、体調が思わしくない時間が多くなってきた。むしろ入院前よりも悪いような気さえした。

癌細胞にはある一定のサイクルがあり、休眠期と活動期を繰り返す。
放射線治療などは、この活動期にあわせて治療すると効果的と言われており、薬などでサイクルを調整したりするところもある。
私は、もしかしたら妻の癌細胞が今その活動期にあり、腫瘍が大きくなる傾向にあるのではないかと考えた。

というのも、妻の癌細胞にしてみれば、何年か、もしかしたら何十年かかけてここまで大きくなったが、それまで特に何かされるでもなくヌクヌクと育ってきた。
しかし先日、生まれて初めて大ダメージを受けるような直接的な攻撃をされたのだ。
攻撃を受けてる間は、その効果によっておとなしくなったが、攻撃が一旦止んだことによって、反動をつけたかのように一気に活動期に入り活発化したのではないだろうか。
実際に、妻はどんどん腫瘍が大きくなっているような気がすると、眼の奥の痛みや頭痛などの症状を訴えた。

こうなると、何も治療をしていない今の状態が、妻の不安な気持ちにより一層と拍車をかけた。
そして一刻も早く治療を再開したいと願うようになり、また精神的に追いつめられるような悪循環へと向かってしまう。

次の再入院まで数日と迫っていたため、何とか励まし乗り切るしかなかった。



7月7日。七夕の飾り付けを子供たちと済ませた次の日、再入院となった。
抗がん剤の2クール目のために必要な入院だが、もう副作用の苦しさを知っている分、前回の入院よりも気分的に辛いと思う。
しかし、妻にとっては身体的な苦しさよりも、またしばらく子供たちと一緒にいられる時間がほとんどなくなるが一番辛いようだった。
特に下の子はまだ幼く、生まれてから一度もこんなに長く離れたことはないし、寝るときはいつも一緒だったのでとても心配していた。
現に前回の入院時には、妻の不在から精神的に不安定になり、夜に眠れないせいかストレスもひどかった。

今回一時的に家に戻ったときは、飛び上がるほど喜び、とても嬉しそうに過ごしていた。これからは、もうずっと何処も行かずに家にいるものと思っていたに違いない。
しかし、再入院することは決まっており、また離れることになる。
そんな病気などの事情はわかるはずもなく、またいなくなることで更に情緒不安定になってしまう恐れがあった。
それでもまた前回同様、義妹やその家族、親類たちの協力を得ながらなんとか乗り切っていくしかなかった。

皆が妻のためにサポートしてくれる。だからこそ妻も私も、より治療に専念できる。
この恩義は、まずは妻を完治させ、その後夫婦そろって一緒に返していこうと思っている。

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