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上顎洞癌になった日から。

若くして上顎洞癌(じょうがくどうがん)という難病になってしまった妻をもつ夫の記録です。 この難病を生活の質を保ちつつどう治療し、克服するのか?この体験記を通じて同じ病気になった人への生きるヒントになれればと思います。

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  • 05/05/19:19

平穏な日々と再発の恐怖

2010年4月中旬。
今年の1月に経過報告をしてから、徐々にではあるが副作用を含めた症状が緩和してきていた。
体調はもちろん精神的にもすっかりほぼ以前と変わらない、まさに平穏な日常を過ごせるまでに回復しているように思えた。

ただし100%回復したと言えるまでにはもう少し時間が必要だろう。
やはり、日々の体調によっては、症状的に大きくはないものの治療前の健康時にはなかった顔の腫れやむくみ、鈍痛などを訴えるし、抵抗力の低下からか風邪などの軽い病気にもかかりやすくなっていた。

しかし、まだこの短期間で100%の回復は多くを望みすぎなのかもしれない。
日々症状は改善されつつあるのだし、見た目的にも治療後と比べると以前と変わらないまでになっていた。
事情を知らない人からすれば、顔半分に放射線治療を受けたなんて想像すらしないだろう。

私はこのまま時間の流れとともに、それら全ての症状が改善し、いずれ近いうちに本人が完治したと思えるようになると考えていた。
それは、ここまで順調に回復してきていたからこその考えであり、当初からの予定通りと言えるからだった。

しかし、全てが順調で、平穏に時が流れてしまうと、ほんの少し前に味わった恐怖や苦悩など忘れてしまったかのように生活してしまう。
もちろんそれは悪いことではない、むしろとても良いことだと思う。
精神的にも安定し、これから良い方向へと改善していくためにいい循環を生むだろう。

心配なのはその平穏に亀裂が生じた時だった。
症状が悪化したり、何らかの異常が発生した時に、それまで順調だっただけに余計に不安になり、情緒不安定から症状悪化となる悪循環を生みかねないからだ。

そんな余計な心配ともいえる不安というのは何故か的中率が高い・・・

最近になって妻が左頬あたりの違和感、鈍痛を訴えるようになっていた。
以前にはなかった症状で、放射線治療による副作用ではなかった。

治療後は抵抗力が弱くなったことから、口腔内における何らかの感染による炎症がよく起こっていたので、私は今回も何らかの炎症の類ではないかと思っていた。
だが、その症状を妻に詳しく聞いてみると、どうもいつもとは明らかに違うという。
妻は腫瘍が大きくなっている感覚がするとしきりに訴えていた。
つまり『再発』しているというのだ。

私は非常にまずい状況にあると思った。
それは『再発』の可能性に対してではなかった。
妻がそう思うことで精神的に不安定になてしまうことが悪循環を生み、より危機的状況を招いてしまうことを恐れたのだ。
現にその症状を訴えるようになってからは、日々症状の悪化を口にし、食欲も減退、精神的に鬱に近い状態になっていた。

人には精神的に体調に影響を受けやすい性質(体質)と、あまり影響のない人とに分かれる。
「病は気から」という、いわゆる『プラシーボ効果』が良く効く性質の人間は前者にあたり、妻はまさしくそうであった。
私はその妻の性質を逆に有効利用しようと、治療当時に『サイモントン療法』を薦めたが、関連書籍を読んだものの長く続けることはできなかった。
『サイモントン療法』はその思い込みの強さとも言える性質も大事だが、なによりコツコツした一見無意味とも思える地味な事を続けられる人間ではないと効果はない。
本人が無意味ではないかと疑問を感じてしまった時点で、本当に無意味になってしまう。

妻はまるで『癌』と診断された当時の様な、不安と恐怖に苦しんでいた。
私はその不安を取り除くように、別の可能性を示すしかなかったが、本人が一旦深くそう思ってしまったことを変えるには別の方法しかなかった。

私は、ちょうど一週間後に定期検査が迫っていたので、その時にこの症状に関する詳しい事柄が判明し、解決するだろうと考えていた。
信頼する先生に診断してもらい、再発の可能性を否定してもらえれば、これ以上の安心はないだろう。
妻は不安ながらも同意し、それまで何とか日々を乗り切るとした。

妻は私に対しては日々の症状や、不安、どう思っているかを些細な事でも素直に何でも話してくれる。
しかし私以外に、例え親兄弟であっても、病気に関して不安を抱かせるような事柄を話すことはない。
それは自分以上に心配や不安を抱かせることになるとわかっているからだ。
だから、自分が体調が悪かったり、不安でたまらない状況だとしても私以外にはその様な素振りを見せないようにしている。

今までも症状が回復してきているとはいえ、完全に回復しているわけではないのだ。
日々なんらかの体調不良があり、朝その症状について私に話してくれる。
今日は腫れがほとんどない、今日は炎症が少しある、今日はジクジクした感じがする・・・など。
それでもそれを周囲にグチることなく日常を過ごしているのだけなのだ。
きっと周囲はもうすでに病気の影はないと思っているかもしれない。
もしかすると完全に健康体に戻っているとさえ思っているかもしれない。

一般的な『癌』の再発率はその種類にもよるが、治療後1年半~2年までに90%以上といわれている。
妻はその大部分が良性腫瘍であるとされているが、悪性部分もあり、治療後まだ1年に満たず、わずか半年を経過したにすぎないのだ。
治療すればそれで終わり、あとは回復するのみなどという簡単なものではない。
まだまだ不安は続く、だからこそ治療後何度も検査したりするのだ。
少しでも不安を解消しようと・・・


私は今回の妻の症状は、何らかの炎症の類で間違いないと思っていた。
突然ともいえる今までいない症状ではあったが、そうなるには理由があるはずであり、その原因に少し思い当たる節があったのだ。

妻は放射線による治療後、経過観察の定期検査の他に歯科治療を受けていた。
放射線治療に影響のある口腔内の金属を、本格的な治療が始まる前に可能な限り除去してたので、仮歯のままであった。
それを元に近い状態に戻すために、今度は金属抜きで整えているのだ。

今回の症状を訴える直前にも歯科治療を行っていた。
私はその帰り道の際、妻が今回の治療で口腔内を少し傷つけてしまい、痛みを覚えたと洩らしていたのを覚えていた。
おそらくそれが大きな原因ではないかと推測したからだ。
現にその1~2日後から症状が悪化してきたと訴えてきていた。

その時考えた病状としては『細菌性唾液腺炎』だった。
歯科治療の際に傷つけてしまった部分から何らかの細菌が感染してしまい、左頬の唾液腺全体が炎症を起こしてしまったのではと考えたのだ。
炎症による痛みや発熱、頬の腫れや硬化など、それらの症状も一致していた。

私は妻を安心させるためにも再発の可能性を否定し、それらの説明を試みたが全く効果がなかった。
食欲減退、鬱状態、夜は不安から毎日涙し眠れず睡眠不足という状態が続いた。
このような状況になってしまった以上、考えられる最善の解決方法はもはや一つしかない。
一週間後に控えていた検査を今すぐにしてもらう他はなかった。

私がいくら調べて病状を推測し、安心だからと説得を試みても、やはり医者ではなく単なる素人にすぎない。
妻が安心するには信頼する医師がしっかりと検査し、その口から大丈夫だとお墨付きを頂くほかないのだ。

私はすぐに担当医師に連絡をし、病状を説明、定期検査の時期を早めてもらった。
本人は再発を疑っているということも話したが、そうではないという明確な返事はなかった。
おそらく炎症の類だと考えてはいても、やはり実際に診断してみないと迂闊なことは言えないからだろう。
私も炎症だとは思いつつも、100%そうだとは考えていなかった。
それは楽観的な考えだけではない、いろいろな可能性を考えてのことだった。
珍しい症例だけにどんなことが起こるか容易に予想などできはしないのだ。

病院に連絡して二日後、私たちは病院にいた。

今回は妻の両親も同行していた。
症状が出る直前にたまたま家に遊びに来ていたのだが、妻の症状が芳しくないことから検査が早まったことを心配して同行してくれていた。
妻もご両親が滞在中は、心配させまいと平静を装っていたが、さすが親子というべきか、いつもと様子が違うことを見抜いていたようだった。
私も妻を励ましてくれる心強い援軍に感謝していた。

病院近郊のホテルに前泊していたので、朝一番で病院へきていた。
ほどなくして診察が始まった。
病状を妻が説明するが、担当医師であるN先生からは余裕が見られた。

おそらく診察前にいくつかの可能性を最悪の場合も含めて考えていたのだと思う。
しかし、軽く診断しただけで最悪の状況である可能性はゼロに近いと判断できたのだろう。

どちらにせよ、通常の定期健診もしなければならないのでMRIによる画像診断をすることになった。
今回の症状についての詳細は、その画像を見ながら判断するのだ。

その後、MRIによる画像も出来上がり、再度診察が行われた。

結論を最初に言ってしまうと『再発』ではなかった。

その結果に一同安堵しながらも、今回の症状についての詳細な見解を伺うことにした。
まず画像診断では腫瘍が拡大、もしくは新たに発生したことは認められなかった。
このことからも再発の可能性はほぼないと考えられる。
そして今回の症状についての診断結果は、病名としては軽い『蜂窩織炎(ほうかしきえん)』ということだった。
あまり聞きなれない病名だが、この病気は炎症を起こす皮膚感染症の一種で、蜂に刺されたように赤く腫れあがり、炎症による発熱、皮膚の硬化が特徴だ。
今回妻がそうなった理由としては、やはり口腔内からの細菌による感染が原因と思って間違いないだろう。

蜂窩織炎が悪化すると大きく腫れあがり、内部に膿が溜まってしまう。
そうなってしまうと、膿を排出するために頬に管を通す治療をしなければならなくなる。
実際にこの病院でも治療したあと、そういった事態に陥った患者もいたらしい。
しかし、妻は外見的に頬が大きく腫れた状態になっているわけでもなく、頬内側の違和感と、ジクジクとしたような痛み、皮膚が突っ張ったような硬化という比較的軽度といえる症状だったため、まだなりかけの状態、つまり軽い蜂窩織炎と診断されたのだった。

治療としては抗生物質の摂取により改善されるということで、セフェム系抗生物質『フロモックス』を処方してもらうことになった。
特に問題がなければこれで回復に向かうことだろう。

私は、妻の今までの病気の経緯から考えると、今回のような病気にならなかったのが不思議なほどだったのかもしれないと考えていた。
妻は病気になる前から口内ケアは念入りにするタイプだったこともあり、治療後は特に以前よりも気を付け、日に何度も洗浄消毒をし、特に食事後は念入りに行っていた。
その甲斐もあってか、今までそれほど大きな炎症もなく、今回のような症状も表れなかったに過ぎなかっただけなのかもしれない。

そして、今回診察してもらうにあたり、これからのことについての話も聞くことができた。
それは将来的には、現在穴がぽっかりと開いた部分、もしくは鼻穴から腫瘍内部の内容物を掻き出して腫瘍を小さくする治療も考えているとのことだった。
しかしそれはまだ先の話であり、そういうことも有り得るという可能性の段階でしか過ぎない。
今現在の状況では、まだ治療後の期間としては短く、今後まだ良性腫瘍の縮小も考えられるのだ。
もしそういった治療を行うのであれば、もう少し経過観察を慎重にしていく必要があった。

今回、妻本人は今までにない症状による不安もあり、再発したのではないかと非常に心配していた。
しかし先生は今後の悪性腫瘍の再発について、ほぼ確実にないだろうという見解を持っていた。
それは動注療法により、薬剤が確実に流れている部位に関しては、今までただの一度も『再発はない』という事実があったからだ。
過去再発があった症例というのは、動注療法による薬剤投与が十分に行き届かない末端部分に限られていた。
妻の行った治療に当てはめて考えれば、薬剤は十分すぎるほど患部を包み込むように行き届いており、それは私自身も造影剤を使って視覚的にも確認させてもらっていた。

妻は先生のその言葉を聞き、非常に安心した様子だった。
そして病院を出る頃にはすっかり落ち着きを取り戻していた。

私もその様子に心から安堵した。
だが、これからも今回の様なちょっとした変化でも、妻は大きな不安を抱き、症状の悪化を招くことがあるのかもしれない。

今現在まだ多少の違和感があるものの、処方薬の効果もあって症状も落ち着きほぼ回復したようだ。

これからも良い方向へと進みつつも、やはり普通の状況とは違うのだ。
だからこそ、私はこれからも全力で支えつつ、妻が平穏でいられるよう見守っていきたい。
そのためには今後も多くの人たちの協力を得なければならないと思う。

親族一同はもちろん、妻が絶大の信頼をおいているN先生や地元でケアして頂いているS先生やH先生。
その他医療に従事し、日々尽力して下さっている方々。
大変深く感謝しています。
礼を尽くせない程に。
ですがもう少しだけ我侭にお付き合いください。
もう少しだけお力をお貸しください。
宜しくお願い致します。
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