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上顎洞癌になった日から。

若くして上顎洞癌(じょうがくどうがん)という難病になってしまった妻をもつ夫の記録です。 この難病を生活の質を保ちつつどう治療し、克服するのか?この体験記を通じて同じ病気になった人への生きるヒントになれればと思います。

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  • 05/05/19:59

究極の選択。

6月11日。妻の両親が遠方より見舞いに来た。『がん宣告』をされたことを報告してから一週間ほど経過しており、それまで病状について間接的にしか情報が伝わっていなかったので、かなり心配していたようだ。
病院へ寄り、妻の見舞いを済ませたあと、義妹宅に集まり今までの経緯や今後の治療についての予定などを詳しく話した。

今のところ病院から提示されている治療方針は、抗がん剤投与による化学療法を行った後、外科手術により腫瘍を摘出するというものだ。
その外科手術方法や術後の状態については、前回述べたようにとても大掛かりなもので、誰もが閉口してしまうような内容だ。
やはり妻の両親もショックを隠せない様子だった。そして可能ならば、顔にメスを入れることのない放射線治療を行って欲しいという考えのようで、特に義父は外科手術には反対のようだった。
もちろん誰もが負担の少ない放射線治療で治るのならば、きっとそちらを選択するだろう。私も例外なくそうできればと考えていた。

しかし、『根治』という完全に治す観点から考えれば、外科的手術により腫瘍を物理的に除去してしまうのが確実なのは明白だった。
現にそういった考えが昔からあるからこそ、多くの場合は放射線治療より外科手術が優先されてきたのだろう。
もし放射線治療を行ったとしても、癌細胞がたった1つでも残こってしまうような結果になれば、それだけで治療失敗となってしまう。
細胞を1単位で見分けることは目視ではもちろん、様々な検査をしたとしても事実上不可能といってもいいだろう。
しかも、その効果のほどには個人差があり、実際に癌細胞に照射してみないことにはどうなるかわからない部分もあった。
だから放射線治療は、治療前の『治るかどうか』を含め、治療終了後の『治ったかどうか』についても、その後しばらくしないと判明しないのだ。

そんな一種の賭けともいえる治療方法に、なんの確実性も見出せない今の状況では、すぐに飛びつくわけにはいかなかった。
だからもっと調べると同時に、放射線治療についての可能性などを専門家に聞いてから決めるべきだと考えていた。
そしてもし、徹底的に調べ、考慮した末に、どう考えても外科手術しか助かる方法がないとなった場合には、覚悟して臨むしかないだろうと思っていた



妻の願いは、とにかく『生きること』にあった。幼い子供たちを残して死ぬわけにはいかないと。
その為には外見がどうなろうと、とにかく生き残れる可能性が高いほうを選ぶ覚悟があるようだった。
しかし私は、そんなにすんなりと割り切れるものではないだろうと思っていた。美容には人一倍気を遣い、毎日朝晩と欠かさず肌の手入れをしている様子を見てきたのだから考えるまでもなくわかる。
周囲から「若いね」「美人だね」と言われてきた人間が、一転して気軽に人前に出れる様な顔ではなくなるのだから、きっと性格も変わってしまうだろう。

私はどんな姿になろうが、とにかく妻に生きて欲しかった。
そのためならどんな事もするし、治療後も全力でサポートし続けるつもりだ。
しかし、これから何十年も先、妻がそれによって苦しむ姿を見るのは耐え難いとも思っていた。

今の段階ではまだ情報不足で決めることは出来ないが、ごく近いうちにこの『究極の選択』ともいうべき問題を解決しなければならなかった。
本来ならばこの様な重大な選択は、当事者である妻が最終決断を下すものだ。もし私が当事者だとしてもそれを強く望むだろう。
しかし、妻は私を信頼し全てを委ねるという。

その期待に応えるためにも、結果として誰もが認める決断をしなければならない。そう心に強く思った。

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