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入院と治療方針。
病院で『がん』と宣告されたものの、すぐに治療にとりかかれるわけではなかった。
やはり癌に関しては有名な病院だけあって、全国から治療に訪れる患者が多く、入院する為のベッド数が常に足りない状況らしい。
病院側からは、入院の準備が整い次第連絡をもらえるという事だった。
しかし、それがいつだかはっきりしないと言うのは、一刻もはやく治療などの処置をしてもらいたいと願う妻にとって大きなストレスとなっていた。
それからは、妻はちょっとした身体の変化でも『がん』が急速に進行している予兆ではないかと思うようになり、明らかに精神的に追い詰められているようだった。
私はそんな妻に何か決定的な打開策を与えてやることができず、どうしようもない歯がゆさと焦りを感じていた。
そして何とか慰め、励ましながら数日を過ごしたある日、幸いにも意外なほど早く入院日が決まった。
6月8日。正式な入院の手続き、説明などを受け、いよいよ入院することになった。
個室部屋を希望していたが1つも空きがなく、少なくとも1ヶ月以上待たないと入れないということで、とりあえずすぐに入れる4人部屋に入ることになった。
その日はとくに治療などはなく、荷物の整理や施設案内など受けたりするだけで終わった。
しかし、とりあえず入院が決まり、やっと本格的な治療が始まるということで、妻も精神的に落ち着きを取り戻していた。
6月9日。これからの治療方針を詳しく担当医から受ける。
宣告を受けた日に、とりあえず大まかな治療の説明は受けたが、ここで更に詳しく聞くことになった。
流れとしては、まずは抗がん剤を全身投与し、その後外科手術により上顎を摘出、再建を行うというものだった。
抗がん剤は2種類で『5-FU』と『シスプラチン』。最初に5日間かけて『5-FU』を総量1165mg投与し、6日目に『シスプラチン』を2時間かけて115mg投与する。
この6日間を1クールとし、合計2回の2クールを予定。
外科手術は、左耳上辺りから左目下に沿ってメスを入れ、そのまま鼻筋に沿って唇上中央まで切ったあと皮膚をめくり下げる。
その後、左上顎を全て摘出し、場合によっては目の下側組織まで摘出。その場合は眼球体液漏洩防止のためにチタンメッシュを固定具として埋め込む。
摘出後、速やかに再建手術を続けて行う。腹部組織を一部切り取り、上顎摘出部に移植。
術後の状態として、しばらくは顔が大きく腫れ、変色し、食べ物を飲み込むことができないのでチューブを通し、流動食と点滴での生活になる。
外見上はともかく、普通に生活できるまでに数ヶ月は入院しなくてはならない。
その後時間の経過により、メスによる傷跡は上手くすれば髪の毛程度の細い線が残る程度ということと、再建後の状態も、うまく移植が皮膚に馴染めばそれほど違和感はなくなるらしい。
だがいずれも個人差があり、やはり顔面の変形は免れず、元の状態には戻れないであろうとのことだった。
とても大掛かりで、普通の病気では考えられない治療だった。
詳細な説明を聞くまでもなく、前もってどんな手術で、どうなるかわかっていたはずだったが、いざ現実として目の前に突きつけられるとショッキングな内容としか言えなかった。
こんな顔半分が無くなるに等しい治療で、誰が気軽に同意できるだろうか。しかもまだ若い女性が・・・
本人の気持ちを考えると、とてもじゃないがどんな言葉をかけていいのか皆目見当もつかなかった。
しかし、この時私は外科的手術を施すのは最終手段とし、切らずに治す『放射線治療』をする方向性で考えていた。
幸いこの『がんセンター』には、過去に妻と同じ症状を数知れず多く治してきた実績があることを前もって調べていたからだ。
それは技術面、設備面においても全国のトップレベルとして名高いものだった。
早速担当医に放射線治療についての可能性を聞くことにした。
すると、現段階では根治を目指す治療としては難しいので、抗がん剤が効いて腫瘍が縮小するようだったら選択肢の一つとして考えてもよいだろうとの答えだった。
妻の状態を考えると、精神的な安定を与えるという意味でも、とりあえず何らかの治療を始める必要があった。
そこで私は一旦その方向性での治療を承諾し、まずは抗がん剤治療をこなしつつも、その間に何か他に良策はないか更に深く調べることにした。
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