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上顎洞癌になった日から。

若くして上顎洞癌(じょうがくどうがん)という難病になってしまった妻をもつ夫の記録です。 この難病を生活の質を保ちつつどう治療し、克服するのか?この体験記を通じて同じ病気になった人への生きるヒントになれればと思います。

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  • 05/06/02:33

そして宣告。

それからすぐに病気のこと、治療のこと、そして最適な病院はどこかなどを調べる。
そしてある程度調べている段階で、市民病院の担当医には別の病院での治療を考えてることを伝える。
更にPETの検査結果などがまだなので、その結果が出る際に今までの資料と合わせて紹介状をもらえるように頼んでおく。

今思えばこれが大きな運命の選択の一つとなったのだが、その時はまだそれが本当に正しいのか確証が持てず、不安ながらも自分の勘に頼るしかなかった。

一刻も早く先に感じた不安を払拭したかったが、なかなか資料や紹介状を用意してもらえず、再三電話で催促し、やっとのことで全てを用意してもらう。

5月26日。PETの検査結果も出たということで、今まで検査した全ての資料と紹介状をもらいに市民病院へと行く。
PETの検査結果には、悪性腫瘍の可能性やリンパ節転移の可能性などが記されていた。
しかし、担当医師はPET検査はあくまでも目安であり、信用性は低いなどといい、あくまでも良性腫瘍の診断を貫いていた。私はすでにその時点で担当医師の言葉を全く信じることが出来ずにいた。ただ単に、必要書類を受け取り次第すぐにでも他の専門病院へと行きたいとう気持ちしかなかった。

いろいろ調べ思案した結果、結局最悪のことも考えて『がんセンター』での診療を決めた。幸いその『がんセンター』は全国でもトップレベルの実績と技術を誇り、特に頭頸部の腫瘍に関しては日本屈指の名医がいるとのことだった。
もし仮に市民病院の診断が正しく、良性の腫瘍だったとしても、外科的に摘出するのならば、やはり経験豊富な名医に任せたいと考えてのことだ。

5月27日。早速紹介状と資料を携え、診察を受けに行く。
CTやPET、生検などの検査結果に目を通し、市民病院での診断はどうだったかなどを聞かれながら、こちらでも軽い触診などを受ける。
おそらくもうすでにこの段階で、どんな病気なのかおおよその判断はついていたのだと思う。
長年同じような症状を見てきただろうし、何せその筋の専門医なのだから普通の医者とは経験値がまるで違う。
それでも念には念ということだろうか、この病院でも生検をしてから最終判断をするということになり、またもや不安で眠れぬ日々を過ごさなければならなくなる。
その間にも調べられることは調べ、あらゆる可能性を考え、そしてどうすればいいかを模索したりもするが、結局は検査結果をただ待つしかなかった。


6月3日。そして運命の日ともいうべき時、検査結果が出たので病院へと赴く。
医師からは深刻な表情は感じられず、あっさりと『がん』と宣告される。
なんとも悪い予感に限って、こうもたやすく当たってしまうのか・・・

私はその時、どうしてこんな病気になったのか?これからどうすればいいのか?などと思うよりも、妻がさぞかしショックだろうと思い、どう慰めようかだけを考えていた。
しかし、意外にも私が思っていたほどの大きなショックはなかったようで、そのことに関してだけは少しだけ胸をなでおろす。
いや、正確には前もって覚悟していただけで、ショックなことには変わりなかったのだ。
それはもちろん私も同じで、たぶんそうじゃないかな・・・とは思いつつも、もしかしたら特異な肉腫などの良性腫瘍ではないか?などと淡い期待をしていた。
しかし、もう確実に『がん』であることには間違いはなく、それが現実であり、どうにかしなくてはならないまさに緊急事態だった。
私は一刻も早く治療に取り掛かって欲しいとお願いし、いつから入院可能か聞いたが、残念ながら現在満床状態で空きはなく、しばらくは無理とのことだった。
そこで入院の仮手続きだけ済ませ、ベッドが空き次第連絡をくれるように頼むことにした。
また待つだけの憂鬱な時間を過ごさなければならないことに苛立ちを覚えつつ、妻の心身が気になるのだった。

【診断結果のまとめ】
病名は『左上顎洞癌』(ひだりじょうがくどうがん)上顎がん、副鼻腔がんともいう。
腫瘍の大きさはおよそ6×7cmくらいの拳大ほどの大きさで、いびつな形をしており、左の頬あたりにある。
病気の進行度を表すステージはⅣ。四段階評価なので最も進行している部類ということだ。
これは病気の性質上の問題で、腫瘍がかなり大きくならないと自覚症状が現れず、ある程度進行してからじゃないと発見されないという理由からである。もともと副鼻腔は何もない空洞であるため、例えそこに腫瘍が出来たとしても、もとが空洞なだけに身体になんら影響はない。
その空洞いっぱいに腫瘍が大きくなり、やがて眼や鼻、奥歯などを圧迫するまでに巨大化することで初めて痛みなどの症状が出るのである。妻の場合は奥歯に痛みを感じたことで発覚した。
更に残念なことに、すでにリンパ節に転移していた。しかし最悪の状況である他の臓器への遠隔転移はみられないだろうとのことだった。

診断後、妻は自分の身に起こった緊急事態に動揺しつつも、どこか落ち着いていて、この事実をどう両親に伝えたらいいかと他の人の心配をしていた。
しかし、これから入院までの数日間、次第に病気に対する不安から、精神的に落ち込み、ストレスが増し、それにより身体にも悪い影響が出始めるのであった・・・
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ことの始まりは下顎のしこり

五十代半ば 元気だったはずのおばちゃんです。
ブログを読んでひたすら感心!!!
実は私も・・・。
去年の六月でした。下顎のしこりが気になり耳鼻科を受診 診断結果は腫瘍 そして大学病院を紹介され 検査の日々。。
 七月 検査結果は右上顎癌 リンパ節転移 ステージ4a。
根本治療は右上顎全摘・・・
頭蓋骨を手に淡々と説明する医師。
驚天動地の心境でした・・
 家族総力で調べ 実績のある東京のM病院での顔を温存する治療を受けました。(放射線 超選択動注抗がん剤 リンパ節郭清手術)
が、今年4月再発・・・
治療の選択肢は無く、最後の手段と言われて・・陽子線と抗がん剤の併用治療が出来るF医師を紹介されました。
網羅出来るであろうとの所見に一縷の望みを託し即決!
 もし・・叶わなかったとしても最善の治療を受けたことで悔いは残らないだろう(自分の感情ではなく家族の心情)との思いが強いのですが・・
 奥様と同じ病院に5月~7月温泉を楽しみながら入院してました。
 退院して一カ月後の八月末 飛行機 新幹線と乗り継いで PET検査に。(東京も遠かったけど・・遠すぎ)
 右頬はしっかり赤く光ってました。

次回は12月にMRI検査です。 
 運を天に任せるのみ・・・でもファイト!!!

  • 2009年09月18日金
  • 山口エム
  • 編集

どの医師も悪性と診断するであろう画像…

だが…良性だった!
そんな経験をされた患者のブログ (The white moon and a yellow cloud)
何か 少しでも参考になるかと思います。

10年~15年に1症例とありました。






  • 2009年09月22日火
  • 通りすがり
  • 編集

訂正

どの医師も…のコメントは 通りすがりさんとは別人です。
すみません。

  • 2009年09月22日火
  • 別の通りすがり
  • 編集

別の通りすがりさんへ

訂正 ありがとうございます。

通りすがりより。

  • 2009年09月22日火
  • 通りすがり
  • 編集

ありがとうございます。

参考ブログのご紹介ありがとうございます。
私もそちらは以前拝見させて頂いたことがあります。
そのブログの内容では、先生方はCTなどの画像判断のみのあくまでも予想としての悪性診断で、まだ生検はしいてなく、その後詳しい検査によって良性と判明したのだと思います。
どうして良性だと判明したのか、その後どうしたのか、といった肝心の部分がなく、途中で更新がストップしているのが残念です。
私が拝見した時、すでに生検で悪性と判定された妻の状況とは違いましたが、続きが気になったことは記憶しています。

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