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上顎洞癌になった日から。

若くして上顎洞癌(じょうがくどうがん)という難病になってしまった妻をもつ夫の記録です。 この難病を生活の質を保ちつつどう治療し、克服するのか?この体験記を通じて同じ病気になった人への生きるヒントになれればと思います。

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  • 05/18/23:08

不穏な気配。

8月31日。今日から陽子線の照射範囲を狭めた治療を始める。
今までは左眼の周囲が入る照射だった為、左眼に様々な副作用が出ていた。
涙と目ヤニが出やすくなったり、炎症からくる痛みや、眉毛や睫毛が抜けるなどの症状が出ていたのだ。
しかし、多少の副作用が出たとしても、眼の周囲に対する照射は、再発の確率を少しでもなくす為には欠かせないことだった。

今回からその範囲が狭くなり、眼球へのダメージがほぼなくなるだろう。
これで、副作用による症状も回復へと向かうはずだ。

9月7日。この日は、今までの治療成果を見る為にCTとMRIの検査をした。
この検査結果によって、今後予定されている残りわずかとなった治療計画を、再度検討し微調整するのだ。

入院開始から比べると、妻の体調はあまり良い状態とは言えなかった。
やはり、陽子線の副作用だけではなく、抗がん剤の副作用が徐々に出始めていたのが大きな原因だった。
通常の全身投与ではなく、動注療法による比較的副作用のでない投薬方法ではあったが、やはり少しづつ身体に蓄積されていくことによってダメージを受けていたのだ。
この日、妻はここへ来て初めて嘔吐し、改めて抗がん剤の副作用は健在であることを再認識させられた。

9月8日。昨日のCTとMRIの検査結果は、あまり良い状態とは言えなかった。
腫瘍の縮小が思ったほどなく、予想していたよりも大きく残っていたらしい。

そして、この日を境に、ここまで順調かと思われていた治療に不穏な空気が流れ始める。



9月9日。動注療法は、顎動脈を通して抗がん剤を投与する為、その血脈から栄養を吸収していない腫瘍部分には効果がない。
危惧していた部分の一つに、目と目の間付近があり、これは動注療法では抗がん剤が行き渡らない場所であった。
その部分が悪性腫瘍なのか判断が難しい状態だったので、もう一度その部分を検査し、もし照射が必要だと判断されれば、追加治療として計画に組み込むことになった。
以前より『PET-CT』による検査が週末に予定されていたので、その結果を参考にする。

9月10日。動注療法による抗がん剤の投与が、目的としている動脈以外にも流れていることが判明した。
着色液で確認すると、リンパへと流れ落ちているようだった。
以前確認した時には正常だったが、腫瘍の縮小や、日常生活によるカテーテルへの刺激などで、少しずれてしまったようだ。

おそらく後半の動注療法において、吐き気などの副作用が急に強く出始めた原因はこのせいだったのだろう。
ある程度腫瘍が縮小すれば、それだけ抗がん剤の吸収も少なくなり、その分余分な抗がん剤が全身へと流れ出す。
それに加えて、高濃度の抗がん剤がリンパへと漏れ出していれば副作用も大きく出て当然と言えた。

緊急にカテーテル調整の処置が行われることになった。
予想としては、何らかの原因によってカテーテルの位置が数ミリ下がり、リンパに繋がる細い血管に接触していまった為、そこから直接リンパへと抗がん剤が漏れ出していると考えられた。
そこで今ある位置よりも、約5mmほど引き上げることで、より確実に抗がん剤が顎動脈へと流れるようにする。

処置自体は数十分で無事に済んだ。
しかし、どうやら予想とは違い、どこか違う場所からリンパへと流れてしまっているらしい。だが、それが何処なのかは特定できなかった。
度重なる照射によって、毛細血管などが損傷し、血流が塞がることで、本来の血の巡りが変化してしまったのだろうか。
原因がはっきりしなかったが、残りの投薬があと1~2回ということもあり、今回はこのままいくことになった。
それにリンパ節転移のことも考えると、見方によってはちょうどいいとも思えた。

9月11日。最後の動注療法が行われた。
抗がん剤『シスプラチン』は、この日は今までの半分の量の投与となった。
予定では今回で最後となっているが、もしかすると状況によってはあと2回ほど投与される可能性もある。
それを決めるのは明日行う『PET-CT』による検査結果を見てからとなるのだ。
その結果によって、残り僅かとなっている陽子線治療の照射場所や、回数も決まる。

それだけではない、PET検査による腫瘍の反応もとても気掛かりだった。
例えCTやMRIで形的な腫瘍が残っていたとしても、癌細胞が死滅していればPETで光ることもないはずであり、そうであれば治療は大成功ということになるからだ。
残っている腫瘍もいずれ正常細胞に淘汰され、時間と共に消滅する。
良い方向に考えれば期待する分検査結果が楽しみであったが、もしものことを考えてしまえば不安な部分も多くあった。


しかし
人生そうそう上手くは行かない、ということなのだろうか・・・
翌日のPET-CTによる予想外ともいえる検査結果は、今までで一番の衝撃を受けることになる。
 

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無題

このブログのタイトルを見つけた時、心臓がバクバクしました。こわごわ拝見させていただきました。
私は、ちょうど1年前に同じ体験をした30代の独身女です。
本当に、お二人の思いが痛いほど伝わってきます。
私も奥様と同じ場所、左の上顎洞に医師も驚くほどの大きな腫瘍ができていました。
なんの痛みもなく、

  • 2009年09月20日日
  • 通りすがり
  • 編集

伝えたかったこと

先日のコメントは長々と自己紹介になってしまって・・・
ブログを読んで自分と重なる点が余りに多くて 若いお二人にエールを送りたかった。
もし入院時期が重なっていたら、副作用 後遺症のことなど・・・あの広いサロンでお話していたかもしれないですね。

退院して二カ月。
今も口内炎は続いてます。
開口障害あり 指一本しか開きません。抗がん剤により脱毛した部分に産毛が生えてきています。(前回は全体が剥げました。生えてきた毛はクルクル天然パーマです。今もクルクル)
右顔面はむくみあり。しゃべりづらい。
味覚障害。ドライマウス。肩コリ。痺れ。右耳がふさがったような感覚。耳鳴り。等・・・
事前に医師から説明を受けていても 体感しなければ決して分からない この感覚。

二度の治療ですし 個々に違いますので参考にはならないかもしれませんが、顔が残って容姿が変わらなくとも 顔面の内側は満身創痍状態・・
なかなか思い通りは行かない現実が待ち受けてました。


 

  • 2009年09月20日日
  • 山口エム
  • 編集

はじめまして。

>山口エム様
返事が遅くなり申し訳ありません。
M病院ということはK先生で有名な場所ですね。
もしそうであれば、IMRTとの併用治療をなさったのだと思いますが、そこで限界まで照射してからでは、いくら陽子線治療といえども副作用が強く残ってしまうのですね・・・
放射線治療の副作用については、個人差もありますが、半年から一年経過により症状が緩和するとの話もあります。
細胞分裂の関係上、数週間~一ヶ月経過したころがピークとなり、それから徐々に回復するそうです。
まだこれから良くなっていくと思いますので、辛いでしょうが何とか乗り切ってください。

私の妻は、一般的な上顎洞癌でないということと、治療経過も違うので、他の方とは異質な予後になると推測されます。
それは、今後このブログを続けて行く意味があるのかという結論にまで達しています。
これから上顎洞癌になった人の参考になりうるとは思えず、今どうするか考えているところです。

  • 2009年09月21日月
  • MOT@管理人
  • 編集

はじめまして。

>通りすがり様
妻と同じ30代女性で、場所も同じ左上顎洞ということで大変気になります。
文章が途中で終わっているので、できれば続きをお聞かせ下さい。
ご面倒でなければメールでも構いません。
お待ちしております。

顛末…

去年。
大きな期待を胸に 名医と名高い医師の力強い言葉に絶大な信頼を抱き 壮絶な辛い治療に耐えたにも拘わらず…
 結果 癌は残存。
去年10月の退院直前のMRI検査で残存の疑い…から 癌と診断されるまで半年経ってしまいました。
待ったなしの病状です。
お陰で、かなり肝が据わってしまった…。

陽子線の治療を終えた今も癌は居座っている模様。
動揺はしませんでした。
本人よりも主人や子供たちの落胆が大きかった。そんな気がします。




TS-1を服用しながら 少しずつ前向きに

  • 2009年09月21日月
  • 山口エム
  • 編集

通りすがりです。

昨日の”通りすがり”です。
コメント入れるのに失敗しました。ごめんなさい。

結果を先に言いますね。私は「良性」でした。
でも、本当に他人事とは思えなかったので、コメントしたかったんです。

突然の腫瘍発覚。しかも顔の半分が無くなるという想像を絶する恐怖。
私は、ガンになる怖さより、顔が無くなる事の方が恐怖でした。
本当に、この世の言葉をかき集めても表現できないくらいの恐怖でした。
これからどうやって生きていくんだろう?仕事は?恋は?友だちは?どうやって顔を隠せばいい?・・と毎日泣きました。毎日死にたいと願いました。

泣くだけ泣いて、「くっそー!なるようになれ!」って諦めた夜に、奇跡がおきたんです。
良性の知らせでした。
腫瘍は子どもの握りこぶしくらいの大きさで、まだ症例の無い種類の腫瘍だったそうです。
歯茎の上を切開して顔の皮をはがして摘出したので、顔に傷も残っていません。
多少、顔が歪んでいますが。

こちらのブログを見つけたとき、自分の「続き」を見ているようで涙があふれて仕方ありませんでした。
あの恐怖と闘ってる人が、まだそこにいるんだと思うと、良性だったと喜んでいる自分に嫌悪感すら感じます。申し訳なく思います。

そして、自分が病気になって分かったことが一つあります。
それは、当事者よりも周りで支えてくれる人たちの方がきついということ。

退院後、私の完治を誰よりも喜んでいた父が「ガン」で他界しました。宣告を受けてから22日という急逝でした。
いつの間にか全身にガンが転移していました。
私の病気を「変われるものなら変わってやりたい」と口癖のように言っていたそうです。
きっと私の身代わりになってくれたんですね。

だから、ご主人もくれぐれもご自分の体のケアを忘れないでください。
奥様の病気、仕事、お子さんたちのお世話・・精神的にも肉体的にも本当~に大変だと思います。
しっかり寝て、しっかり食べて、そしてこれからもしっかりと奥様を支えてください。
奥様にとって、ご主人がいちばんの支えであり、何よりの羅針盤だと思います。

一日も早いご回復と、ご家族に心の底からの笑顔が戻る日を、遠い空の下より応援しています。

ご主人、頑張ってね!

  • 2009年09月21日月
  • 通りすがり
  • 編集

無題

嘘のようなホントのお話です。山梨県北杜市大泉町西井出に月見涼庵というお蕎麦屋さんの敷地で奥様がヒーリング(気功)や前世御供養(前世療法)で難病やがん患者さんも沢山良くなられてます、なまえは天恵気功塾です。私は若年性乳がんで 予後が期待できなったので
病院での治療を一年もしないでやめ現在七年目で とても信じられない結果です。 完治めざしてがんばってます。もう延命の抗がん剤は嫌でした…。愚痴ってごめんなさい。わたしはまだ 服を着れば分からないから、でも お顔にと とても想像以上にお辛いおもいをされておられるとおもったらメールそせずにいられませんでした。
変な宣伝メールかとおもわれてもいいです。
どうか 諦めないでください
治る可能性があります。以上です。

  • 2009年11月27日金
  • 通りすがり
  • 編集
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