忍者ブログ

上顎洞癌になった日から。

若くして上顎洞癌(じょうがくどうがん)という難病になってしまった妻をもつ夫の記録です。 この難病を生活の質を保ちつつどう治療し、克服するのか?この体験記を通じて同じ病気になった人への生きるヒントになれればと思います。

NEW ENTRY

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

  • 05/06/00:14

検査後の考察。

9月13日。前日の検査結果について、今後のことも含めいろいろと考えていた。
妻が『上顎洞癌』と診断されてから、どんな病気か、どんな治療法がいいか、散々調べてきた。
そして、現在の治療方法へと辿りつき、それを行うことでQOLを維持しながら根治が目指せると思っていた。
しかし、それは通常の『上顎洞癌』の場合であって、今回のケースでは話が違った。
ということは、選択を誤ってしまったということなのだろうか。

私は、ここに至るまで何か見落とした部分はなかったか、過去の出来事を一つ一つ思い返していた。

まず初期症状として表れたのは奥歯の痛みだった。
痛みが出始めてからは、急激に腫れが大きくなった。
近所の歯科医院から市民病院へと紹介され、精密検査を受け、生検の結果『良性腫瘍』と判断された。
今思い返せば、この診断結果も全てが間違えではなかったのかもしれない。
歯科医が診察する口腔内での腫瘍は、そのほとんどが歯原性の良性腫瘍といえる。
歯原性腫瘍の種類によっては、骨破壊や局所浸潤がみられ、一見すると悪性と判断されがちな腫瘍もある。
市民病院での生検には3つの可能性が記されており、そのうちの一つとして『悪性とも良性ともとれない』といったような結果があり、画像所見で歯原性と判断していたのでそれを支持したのだろう。

だが、腫瘍の全てが良性だったわけではなく、一部が悪性腫瘍であったことを考えると、ここでの治療を断ったのは間違った判断ではなかったのだと思う。
しかしそれにしても、もし埋没歯による歯原性の腫瘍だと結論付けていたのなら、そのことを伝えて欲しかった。
それを知っていたら、病気について調べる際に、もっといろんな可能性を考えて調べられただろう。

市民病院の次に訪れた『がんセンター』ではどうだっただろうか。
初診の際に、CT画像をみながら医師らが話し合っていた言葉の中に「石灰化がみられる」と言っていたのを覚えている。
数多くの症例と実績を誇る癌専門の病院だけに、様々な種類の腫瘍を診てきたはずだ。
この段階でいくつもの可能性を考えていたに違いない。
その中から、生検結果を確定材料として今回の『上顎洞癌』という診断となったのだろうが、果たして『歯原性腫瘍』については全く可能性を考えなかったのだろうか。
もしかしたら治療方針が外科的手術であったため、どちらであろうと大差ないと考えていたのかもしれない。
また逆に、どういった腫瘍か細かな断定ができないと判断したから、外科的手術を推奨していたのだろうか。
『がんセンター』の放射線医に意見を聞きに行った際、外科手術以外の治療に否定的な反応だったのはそれを知っていたからなのか。

PR

【続きはこちら】

衝撃的な結果。

9月12日。今日は昼すぎから『PET-CT』による検査のため、数時間前から水やお茶意外は口にできない。
妻は早朝のうちに軽い朝食を済ませて、昼からの検査に備える。
この検査によって追加治療の方針が決まるのだが、それよりもPET-CTによる腫瘍の反応が気になっていた。

3時間ほどかけて検査も無事に終了。
今日中に検査結果が出て、それをもとに先生から説明があるとのことだった。
それまで時間があるということで、夕方に早めの夕食を食べに出掛ける。
一時間ほどで病院へ戻ると、ちょうど指定された時刻だった。
しかし、まだ時間がかかるらしく、しばらく待つことになった。
今にしてみれば、今回の検査結果は先生方にも予想外であったため、その原因究明に時間がかかってしまったのだと思う。

N先生の準備が済み次第、看護士さんが病室まで呼びに来てくれるということで、二人で待つことにした。
すると、間もなくF先生が直接病室まできた。

まず先に今回の検査についての結果報告だけを伝えにきてくれたのだ。
結論からいえば「治療前に撮ったPET-CTの結果とほぼ変わらない」という思ってもいなかった、まさに想定外の結果報告であった。
それは形状、大きさはもちろん、PET-CTによる発光についても変化がみられないというのだ。

果たしてそれはいったいどういうことなのか?
検査結果が以前と大差なくとも、今回のケースでは成功という意味なのか。
治療は順調だったが、効果が今ひとつということなのか。
それとも治療自体が失敗に終わったということなのか。
その言葉からだけでは、それが何を意味しているのかはわからなかった。
詳しいことはN先生から、画像を見ながらの説明がある、ということでN先生のもとへと行く。

N先生の前にあるPCモニターには、今回のPET-CTの画像が映し出されていたが、確かに左頬辺りの腫瘍部分がPET特有の発光を表していた。
そして、治療前と治療後の2つの画像を並べることで、その変化のほどが簡単に確認できた。
先生方の説明を受けなくとも、素人にさえその差が大してないということ一目瞭然だった。

【続きはこちら】

不穏な気配。

8月31日。今日から陽子線の照射範囲を狭めた治療を始める。
今までは左眼の周囲が入る照射だった為、左眼に様々な副作用が出ていた。
涙と目ヤニが出やすくなったり、炎症からくる痛みや、眉毛や睫毛が抜けるなどの症状が出ていたのだ。
しかし、多少の副作用が出たとしても、眼の周囲に対する照射は、再発の確率を少しでもなくす為には欠かせないことだった。

今回からその範囲が狭くなり、眼球へのダメージがほぼなくなるだろう。
これで、副作用による症状も回復へと向かうはずだ。

9月7日。この日は、今までの治療成果を見る為にCTとMRIの検査をした。
この検査結果によって、今後予定されている残りわずかとなった治療計画を、再度検討し微調整するのだ。

入院開始から比べると、妻の体調はあまり良い状態とは言えなかった。
やはり、陽子線の副作用だけではなく、抗がん剤の副作用が徐々に出始めていたのが大きな原因だった。
通常の全身投与ではなく、動注療法による比較的副作用のでない投薬方法ではあったが、やはり少しづつ身体に蓄積されていくことによってダメージを受けていたのだ。
この日、妻はここへ来て初めて嘔吐し、改めて抗がん剤の副作用は健在であることを再認識させられた。

9月8日。昨日のCTとMRIの検査結果は、あまり良い状態とは言えなかった。
腫瘍の縮小が思ったほどなく、予想していたよりも大きく残っていたらしい。

そして、この日を境に、ここまで順調かと思われていた治療に不穏な空気が流れ始める。

【続きはこちら】

陽子線の効果。

陽子線の照射は平日の月曜~金曜まで、週五回のペースで行い、それに併せて動注療法も毎週金曜、週一回づつ投薬されている。
当初の治療計画通り、順調にスケジュールがこなされていった。

その間、何か特別な変化があるわけでもなかったが、妻は逆にそれが心配なようだった。
陽子線治療自体には、照射されることによる痛みなどの感覚がないので、本当に有効な治療がなされているのか、事前に説明を受けてわかっていたとしても不安になってしまう様だ。
確かに、本人からしてみれば生死に関わるような重大な病気に対して、実際にやっているんだかわからないような治療では心許ないのかもしれない。
しかし、それでもこの治療を信じてやっていくしかない。
私は妻に、大丈夫かどうか聞かれるたびに、「考えられる最高の治療だから大丈夫」と勇気付けた。

入院期間も長くなってくると、治療以外で一人きりでいると、どうも余計なことを考えすぎてしまい、いろいろと不安になってきてしまうらしい。
前回の病院での入院とは違い、気軽に見舞いに行ける距離ではなくなってしまったため、その辺りのフォローが難しかった。
しかし、この病院は病室環境が良く、インターネットも自由にできるため、スカイプを使用することでかなり気が紛れた様だった。

スカイプ(Skype)とは、フリーのビデオチャットソフトで、これをお互いのPCにインストールしてWebカメラを繋げれば、いくら話しても通話料無料のテレビ電話ができるようになるのだ。
これを存分に利用し、子供たちとも大きな画面で顔を見ながら話すことができた。
相手の表情を見ながら会話ができるは、妻の顔色や体調なども確認できるので、電話よりも便利だった。

8月28日。また久しぶりに子供たちを連れて病院まで訪れた。
治療もすでに予定の半分以上を終え、残すところあと一息といった感じだった。
この日は4回目の動注療法による抗がん剤の投与を行う日でもあったが、やはり回数を重ねるごとに副作用が強くなってきてる様だった。
まだ嘔吐するまでではないが、気分が優れずに食欲が出ない状態が続いていた。

そして陽子線治療による副作用も、思いのほか出てきていた。
前回よりもかなり皮膚の赤みが増し、まるで熱湯をかけられたヤケド状態の様で、痛々しいく感じるほどだ。
やはり妻は、普通の人よりも皮膚が敏感なようで、その副作用が強く表れているようだった。
この皮膚の状態は、いずれ治るというが、これで本当に元の状態に戻れるのか不安になってもおかしくないだろう。
だが、照射をしない土日のわずか2日間だけで、かなりの回復をみせる。
それを考えれば、個人差はあれど数ヶ月でキレイになるというのも頷ける話しだった。

ここまでは、腫瘍本体にピンポイントで照射するというよりも、眼球の周囲を含めた大きな範囲で陽子線治療を行ってきた。
そのため、目の痛みなどの副作用も出てきていたが、次の照射からは範囲を狭めた集中的な治療へ移行する。
これで目の痛みなどは回復へと向かうはずだ。

大丈夫だとわかっていても、治療成果がはっきりと確認できるわけでないため、誰もが不安を抱えていた。
しかし、そんな不安をよそに、その治療も残すことろあと僅かに迫っていた。

陽子線治療を開始してから、すでに一ヶ月が経過していようとしていた。
 

動注療法の威力。

8月10日。この日『超選択的動注化学療法』による、抗がん剤投与が開始された。
投与される抗がん剤は、TPFなどの多剤併用療法ではなく、『シスプラチン』単体のみだ。
そして、副作用を抑える中和剤としてチオ硫酸ナトリウム(デトキソール)を併用する。
これは、F先生らが行った長年の臨床により、従来使用されていたカルボプラチン(CBDCA)よりも格段に治療効果があることが確認されたからだ。

まず先行して中和剤を腕の静脈より点滴する、その後しばらくしてカテーテルを通して動脈へとシスプラチンが投与された。
副作用は全身投与よりも遥かに軽いとの話しだったが、それがどのくらいのものか予想できなかったため、多少の不安があった。
前回の全身投与を行った副作用の半分程度だったとしても、やはりその苦しみは平常時に比べると辛いものだろう。

その副作用が現れるまで、前回のケースでは半日ほどだったが、今回は丸一日経過しても、それほど急激な変化は訪れなかった。
これはもしかすると、かなり副作用が軽減されているのでは?と期待したものの、それにしては軽すぎる様な気もする、と言った戸惑いも隠せなかった。
しかし、やはり取り越し苦労のようで、2日経過しても、特に気分が悪くなって嘔吐したりなどの大きな副作用はなかった。
多少の倦怠感や気分が優れないことはあったようだが、もしかすると、「副作用の強いシスプラチンを投与した」という気分的なものかもしれない。
とりあえず、思っていた以上に副作用が軽減できることがわかり一安心した。

だが、これから何度も抗がん剤投与を続けていけば、それだけ体内に蓄積され、正常細胞にダメージを与える率も大きくなるはずだ。
それでも、動注療法の効果の大きさを考えれば、可能な限り、限界値まで『シスプラチン』を投与すべきだろう。
日本でも90年代より動注療法の臨床が各方面で盛んに行われており、まだレビデンス(根拠)が確立していないものも多いが、近年になって様々なデータが揃いつつあるのだ。
その中の一つに『シスプラチンの投与量』に関するものもあり、総量450ml以下より600ml以上が治療成績が良いなどの検証結果もある。
妻はまだ若く、回復力もあるため、投与したくてもできない人よりも有利であり、希望が持てるのだ。
ただ、投与を続けることで耐えられないほどの苦痛を伴うようであれば、無理にする必要はないとも考えている。
身体的に「できる」と、精神的に「できる」が両立していなければ、本当の治療とはいえないからだ。

【続きはこちら】

<<< PREV     NEXT >>>