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上顎洞癌になった日から。

若くして上顎洞癌(じょうがくどうがん)という難病になってしまった妻をもつ夫の記録です。 この難病を生活の質を保ちつつどう治療し、克服するのか?この体験記を通じて同じ病気になった人への生きるヒントになれればと思います。

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  • 05/19/07:55

不安要素。

8月5日。陽子線治療を始めてから数日が経過していた。
今のところ副作用といえば皮膚表面が、ほんのり赤くなってきた程度だった。
今後照射回数を増やしていけば、日焼けしすぎた時のようになり、若干腫れも出てくる。
X線での放射線治療ではポピュラーな副作用だが、陽子線も例外ではなく避けては通れない症状だ。
ピークを調整できるとはいえ、必ず皮膚表面は通過しなくてはならないからだ。

顔の赤みは個人差によるが、およそ数ヶ月から一年ほどで完全に消える。
しかし、それにしても妻の場合は少しその副作用が出るのが早いようだった。
どうやら陽子線治療の際に化粧をしたまま行ったのがいけなかったらしい。
通常は化粧をしたままでも問題ないとの話しだったのだが、その化粧に紫外線カットの成分が入っていると、何らかの反応を起こし、皮膚表面に色素が沈着しやすいとのことだった。
恐らくこの様な例はどこを探しても情報として出てこないだろう。
『陽子線治療』に関しては、まだまだ未知な部分が多いと改めて実感した。

8月6日。通院による陽子線単体の治療から、動注化学療法も含めた併用療法へと移行するため入院することになった。
『陽子線治療センター』は病床数が少なく、今現在は満床状態のため、とりあえず隣接した病院の入院病棟へと入ることになった。
この病棟は全て個室となっており、風呂、洗面所、トイレ、電話、テレビ(ビデオやゲーム付)、インターネットなどの充実した設備が整い、広さも十分にあった。
しかも、ベッドの差額代金も都市部の病院と比べると、半額かそれ以下というリーズナブルさで、環境的には申し分ない。
ここで数日間過ごしながら、陽子線治療を受ける際はここから通院する。そして、あちらの病室が空き次第移る予定だ。

8月8日。この日いよいよ『動注療法』のためのカテーテル挿入手術が行われる。
この手術自体は治療ではないが、『動注療法』には絶対にはずせない処置であり、必要不可欠なものだ。

前日にその準備として、髪をカットした。
妻の場合、左上顎洞に対して動注療法をするので、左側面の耳周辺を2ブロックにして刈り上げた。
上の長い髪を下ろせば、うまく隠れるので見た目は変わらないだろう。
髪の短い男性などは、片方だけ短いとバランスがおかしくなるので、大体の人が坊主にするらしい。

動注療法のカテーテル手術は、基本的に危険な手術ではないが、いくつか不安要素もある。
まず、カテーテルが挿入できるかどうかという点や、もしうまくカテーテルが挿入できたとしても、うまく薬剤が腫瘍まで届くかどうか等である。
血管にも個人差があり、カテーテル挿入に耐えられないものや、特異体質などで一般的な血管組織ではない、複雑化した血管であった場合は、目的とする血管にカテーテルを挿入すること自体ができない場合もあるらしい。
もしうまくカテーテルが挿入できたとしても、その血管が腫瘍へと到達していない場合も意味がない。
だが、いずれの場合も余程の偶然が重ならない限り大丈夫と言えるだろう。

私が一番懸念していたのは、カテーテル挿入時に、血液の塊などが脳血管に流れて詰まり、脳梗塞などを引き起こすケースだった。
これは数パーセントとういう低確率ながら、実際に報告例がある不安要素であった。
数パーセントとはいえ、しょせん確率論である。例え100万分の1でも当たる時は当たってしまうものだ。これほど信用性のないものはない。

だがこれに関しては少し安心できる要素があった。
それはこの手術をするのが、あのF先生とN先生だったことだ。
動注療法のパイオニア的存在といわれる先生は、症例数世界一ともいわれる数をこなしているのにも関わらず、手術の成功率は100%を誇っていた。
どこを探したとしても、これ以上の安心を得られる先生方は他にいないだろう。

しばらくして、流石というべきか、当然のように手術は無事に成功した。

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唯一の正解。

7月30日。今日いよいよ『陽子線治療』を始める。
妻は前日より現地入りし、治療への準備は万全だった。
私は残念ながら付き添うことができないため、妻の両親が一緒に行ってくれていた。

実際の入院は少し先なのだが、一刻も早く治療を始めたいというこちらの希望を聞いてもらい、陽子線治療を先行して行うことになった。
入院するまでの間は、ホテルに連泊したりするのが一般的らしいが、義父母が病院近くにマンスリーアパートを借りてくれたので、しばらくはそこからの通院となる。
病院付近にそういった拠点的なものがあれば、私が妻の見舞いなどで訪れた際も、そこに泊まれるだろうとの配慮があってのことだった。
妻が病気になる前からそうなのだが、いつも義父母には良くしてもらい感謝してもしきれないほどだ。

早速『陽子線治療センター』へと行き治療を始める。
これからどの様な治療をしていくか、再度簡単に説明を受けたあと、いよいよ陽子線治療が始まる。
私が直接治療を受けたわけではないので、実際にどんな感じかはわからないが、妻の感想では「陽子線がどの部分に、何回照射されているのがわかる」らしく、それ以降の治療の度に
「今日はどこに何回照射した」と報告してくれていた。
そして照射後に「陽子線の匂いが鼻に残る」らしく、それがふとした時に匂うという。

治療の所要時間としては、照射前の固定具装着や照射位置の確認などで少し時間がかかるだけで、照射自体はあっという間に終わる。
全てを含めても20分かからないくらいだろうか。
当然ながら1日に1回の照射しかできないので、その後は何もすることがない。
基本的に通院だけで治療するが、条件的に入院をしなければいけない人もいる。
そういった人は、治療が終わったあと病室に戻ってもやることもなく暇で仕方ないらしい。
苦痛もなく、副作用もほとんどない、短時間な治療法だからそう思うのかもしれないが、考えてみれば贅沢でもあり嬉しい悩みとも言える。

妻は自宅が遠方であり、通院できないということと、『動注化学療法』の併用治療をするために、入院管理が必要だった。
まだ化学療法を行う前なので、とりあえず数日間だけは通院ということになる。
照射範囲は当初の予定よりも大きくとることになった。
左眼全体を含む、ほぼ顔半分を照射するのだ。
今までの検査によると、目と目の間や、目の奥にも腫瘍(癌細胞)がある可能性を否定できなかった。
そこで念のために予想される範囲全てに陽子線を照射することになったのだ。

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束の間の団欒。

7月24日。陽子線治療を実際に行うまで、数日の空き時間があった。
綿密な治療計画を立てる必要があるのだが、それにはおよそ一週間ほどかかるのだ。

次に妻が入院する際には、ここからは遠方なため気軽にお見舞いに行くことはできないだろう。
これまでの病院は、検査や診察などの重要なときには仕事を休んで行き、見舞いは仕事が終わってから行くようにしていた。
幸い私の会社はフレックス制のため、早朝出勤すれば夕方には仕事を終えることができたからだ。
その為、仕事場からは車で高速を利用して4~50分程ということもあり、毎日病院へ行くことができた。

その時も、今まで出産時以外でこんなに長く家を空けたことはないだろうから、きっと精神的にも不安だったと思う。
だからこそ少しでも気が紛れればと思い、できるだけ多く病院へと行きたかった。
子供たちも毎日は無理だったが、休みの日は必ず一緒に見舞いに行くようにした。

しかし、平日は仕事があり、その後も夜まで病院へと通う日々が続いていたので、子供たちの面倒を見ることが出来なかった。
そこで、学校などに行く準備や日中の面倒、夕飯などの一切の世話を、義妹夫婦の好意に甘えて任せることにした。
病院の見舞い帰りに義妹宅に寄って子供たちの様子をみていたが、下の娘だけが自宅でないと眠れないというので連れて帰り、朝にまた送り届けるという生活を繰り返した。
義妹夫婦が近所に住んでいることも幸いして、子供たちの日常をそれほど変化させることなく過ごすことができた。

数日後には今まで以上に長期入院をするが、その時にはまたお世話になるとことだろう。
非常にありがたいと感じる一方で、負担をかけてしまうのを申し訳なくも思う。
義妹にも小さな子供が2人いるので、計4人の子供の面倒を毎日見るのはそうとう大変であり疲れるはずだ。
しかし、みんなで協力し合って、少しでも早く妻の病気を治すことが先決であり、それが恩を返すことにもなると思う。
元気になった妻とともに、これから長い時間をかけてゆっくりと恩返しをすればよいのだ。
妻は家族みんなに愛され、必要とされているのだと、周囲の人たちの協力する行為によってまた再認識させられた。

妻が入院し治療が始まったら、子供たちは滅多に会えなくなるだろう。
それまでの数日間は、子供たちにできるだけ甘えさせておく。
休みの日には家族で出掛けたりして、束の間の一家団欒を満喫した。

7月29日。楽しい時間というのは、本当にあっという間だ。
この日、いよいよ本格的な治療をするため『陽子線治療センター』へと出発する。

妻が治療を終え、再び家に戻ってくる時は必ず完治していることだろうと信じていた。

治療に必要なこと。

7月21日。妻の抗がん剤治療2クール目が終了し、『がんセンター』を無事に退院することができた。
本当はまだ少し副作用の影響で体調がよくない様だったが、今日退院しなければ次の予定に間に合わないため、ギリギリでの退院となった。
『上顎洞癌』という『がん』になってから、本格的な治療を始めて一ヵ月半ほど経過していたが、実際に行われた治療は全体からすればまだほんの入り口に過ぎなかった。
最も重要な局所に対しての治療がまだ手付かずに近い状態であったため、一刻も早く直接的な治療をしてもらいたいと思っていた。

7月22日。早朝から電車を乗り継ぎ、妻とともに4時間ほどかけて『陽子線センター』に到着した。
前回のセカンドオピニオンによって、ここでの治療が決定したのだが、今回は患者である妻を直接連れてきて、診察や検査を2日間をかけて行うのである。
『陽子線治療』を行うために必要なことや、入院するために必要なことなど、いくつかの検査が待ち受けていた。
また、検査以外にもやらなければならない事があり、それは『陽子線治療』を行う人には避けては通れない重要な作業だった。

まずは『採血』『レントゲン』『心電図』を順番に済ませていく。この辺りの検査はもう手馴れたもので、特に問題なく終わる。
続いて『陽子線治療』に欠かせない『固定具作成』を行う。
より正確に病巣に照射するためには、照射中に僅かでも動くことは許されない。
しかし、そう言われて全く動かないでいるのも難しいので、専用の固定具を使用することで強制的に動かないようにするのだ。
頭頸部の癌は頭を固定するので、顔面の型を作ることになる。
『シェル』と呼ばれる薄いシート状のプラスチックな様なものがあり、これを暖めると柔らかくなるので、その状態で固定したい部位にその身体の形状に沿って型を取る。
冷えると固まり、ホールド力の強いかなりフィットした、世界で唯一つともいえる『自分専用固定具』が出来上がるのだ。

固定具が無事に作成できたら、実際にそれを使用して『MRI』や『CT』によって病巣位置を確認しながら、陽子線照射のために必要なデータを取る。
それらのデータをもとに、今後の治療計画が立てられるのである。

固定具は動かないように少々強めにホールドするため、その圧迫感により照射途中に気分が悪くなる人もいるらしい。
妻は、多少息苦しさは感じるものの、その他は特に問題はない様子だった。

診察も行ったのだが、今回は患者本人である妻もいるので先生に直接診てもらう事ができた。
今後担当医として診てもらうのはN先生で、セカンドオピニオンの際にもF先生と共に話しを聞いて頂いた先生だ。
N先生はF先生の一番弟子ともいう方で、F先生にその腕を見込まれてわざわざ地元からこの施設まで勧誘されてきたらしい。
まだ若いながら、この施設の副センター長を任されるほどの非常に優秀な先生だった。

どんな人でも多少なりとも直接話してみると、その人柄がわかるものである。
F先生もそうだったが、N先生もとても気さくな方で、何でも気軽に聞くことができ、話しやすく好感が持てた。
医師に求められるのは腕の良さはもちろん、この人柄や性格ともいえる部分も非常に大事だと思う。
これから長い付き合いになるであろう先生に、遠慮したり苦手意識を持ってしまうようでは治療にも影響しかねない。
その点も含め『名医』と呼べるかどうか決まるのだと思う。

以前いた『がんセンター』は、その忙しさからか先生や看護士の方々は常に余裕がなさそうで、どこか話し難い部分があった。
先生に至っては、会うことすらままならない。
しかし、それらは各個人の問題ではないことはわかっていた。
慢性的な医師や看護士の不足、それに伴う激務。その激務に耐えられないものが辞めることで、さらに人材不足になってしまうという悪循環。
この日本の医療体制自体が変わらない限り、今後も解決しないだろう。
人の命を預かる医師や看護士の方々が、忙殺されながらも必死に自分の仕事をこなしているのは尊敬に値する。

【続きはこちら】

貴重な体験。

今回は、このブログを立ち上げた経緯をお話ししたいと思います。

私は妻が『上顎洞癌』(じょうがくどうがん)になるまで、その様な病気があることを知りませんでしたし、その名前を聞いたことすらありませんでした。
そもそも『がん』自体が身近なものではなく、どこか別の世界の出来事のような気さえしていました。
ですから、もし妻が病気にならなければ、その病気について一生知らないままだったかもしれません。

今回この様な事態に見舞われて、それこそ必死で調べました。腫瘍学会などの研究論文から、同じ症状を持つ人の体験談など、わずかでも病気に関係することには目を通し、より良い方法は何か探し続けました。
そしてそれらの調べたことを参考に、何度も悩み考えました。もしかしたら、今まででこんなに頭を使ったことはないかもしれません。
きっと、『がん』に初めて関わることになった人たちは、同じようにしてきたのだと思います。

調べていると、病気に関する資料や治療方法などは案外多く、どの情報が有用であるか絞り込むのには時間を要しましたが、調べること自体は容易でした。
本来『上顎洞癌』は、『がん』全体からすればその患者数はかなり少なく、その他の『がん』と比べると情報量もあまりありません。
しかし、このインターネット全盛時代では、得られない情報の方が少ないくらいです。きっと20年前だったらもっと苦労したに違いありません。

毎日病気について調べていて、いくつか疑問に思うことがありました。
治療法や症例などは数多く検索できるのに対して、この病気の体験談や闘病記などの生の声が非常に少ないのです。
特に『放射線治療』のみで根治に成功した人が、なかなか見当たりません。

これから治療する人にとって、同じ病気の人の体験談は非常に参考になります。
その人がどんな治療をして、どんな経緯を辿り、結果としてどうなったのか・・・
それらは、今後の自分の未来と重ねることができ、その人がもし良い結果を得ることが出来ているなら、これから同じ治療を受ける人にとっては大きな自信と安心になるはずです。

『上顎洞癌』(副鼻腔癌)は顔の『がん』であるため、治療には機能だけではなく美容面でのQOL(生活の質)も強く求められます。
一般的な治療方法は外科的な手術による腫瘍の摘出で、上顎全てと眼球を取り除きます。つまり、およそ顔半分がなくなるに等しい大掛かりな手術をしなくてはなりません。
その後、再建手術により顔の変形を治しますが、眼球に関しては義眼のため視力は戻りません。
また、再建手術によって移植された部分が腫れ、顔が歪みます。しばらくして腫れは落ち着きますが、個人差があるので思ったより腫れが引かず片方だけ盛り上がってしまう人や、逆にへこんでしまう人など様々です。

いずれにせよ完全にもとの状態に戻れることはないと考えてよいでしょう。

【続きはこちら】

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