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上顎洞癌になった日から。

若くして上顎洞癌(じょうがくどうがん)という難病になってしまった妻をもつ夫の記録です。 この難病を生活の質を保ちつつどう治療し、克服するのか?この体験記を通じて同じ病気になった人への生きるヒントになれればと思います。

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  • 04/19/09:52

抗がん剤治療の開始。

6月10日。入院から2日後、いよいよ初めての抗がん剤治療が始まった。ここの病院での治療方法は、まず副作用の比較的少ない『5-FU』から投薬を開始し、最後に最も効果的とされている『シスプラチン』を投薬する。
『シスプラチン』の副作用はその症状が重く、投薬後も個人差はあるがおよそ5~10日は点滴などによる入院管理が必要とのことだった。
私は抗がん剤治療による化学療法についても、その薬剤名を含めて調べていた。
よくドラマでは副作用として激しい嘔吐や、髪がどんどん抜け落ちていく様が見られるが、多少大袈裟な表現があるにしても、大体はそんな感じらしい。
妻もそんな副作用のイメージからか、かなり不安があったようだ。しかし、いざ始めてみると意外にも副作用らしい症状は現れず、本人も拍子抜けしたようだった。
それもそのはず『5-FU』は他の抗がん剤に比べると副作用あまりないのが特徴で、昔から様々な癌に用いられてきた最もポピュラーな抗がん剤である。
それ単体での使用よりも、癌の種類によって他の薬剤と併用することでより効果を発揮するタイプの抗がん剤なのだ。
その中でも『5-FU』『シスプラチン』は、近年の頭頸部癌においてよく用いられる2剤併用法だった。

『シスプラチン』は逆に副作用が強く現れることが有名で、激しい嘔吐や脱毛が特徴的だ。
しかも決定的な弱点として、強い腎毒性による腎不全などの腎臓機能の障害があった。
そのため腎臓機能が弱いと投与することすらできないのだ。これは特に高齢者に多いことらしい。
幸い妻の腎臓機能は医師から100%大丈夫とのお墨付きをもらったので、投与できないという事態は避けられた。
しかし、それでも腎臓障害を防ぐためには、大量の水分や利尿剤を同時に使用するなどし、腎毒性を軽減する処置が必要だった。
これだけ強い副作用や、障害を起こすリスクがありながらも使用するのは、それだけ大きな腫瘍縮小効果が望めるからだ。

6日後に投薬される予定の『シスプラチン』。思ったよりも副作用がないと安心していた妻に、その詳細をまだ教えることは出来なかった。
 

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入院と治療方針。

病院で『がん』と宣告されたものの、すぐに治療にとりかかれるわけではなかった。
やはり癌に関しては有名な病院だけあって、全国から治療に訪れる患者が多く、入院する為のベッド数が常に足りない状況らしい。
病院側からは、入院の準備が整い次第連絡をもらえるという事だった。
しかし、それがいつだかはっきりしないと言うのは、一刻もはやく治療などの処置をしてもらいたいと願う妻にとって大きなストレスとなっていた。
それからは、妻はちょっとした身体の変化でも『がん』が急速に進行している予兆ではないかと思うようになり、明らかに精神的に追い詰められているようだった。
私はそんな妻に何か決定的な打開策を与えてやることができず、どうしようもない歯がゆさと焦りを感じていた。

そして何とか慰め、励ましながら数日を過ごしたある日、幸いにも意外なほど早く入院日が決まった。

6月8日。正式な入院の手続き、説明などを受け、いよいよ入院することになった。
個室部屋を希望していたが1つも空きがなく、少なくとも1ヶ月以上待たないと入れないということで、とりあえずすぐに入れる4人部屋に入ることになった。
その日はとくに治療などはなく、荷物の整理や施設案内など受けたりするだけで終わった。
しかし、とりあえず入院が決まり、やっと本格的な治療が始まるということで、妻も精神的に落ち着きを取り戻していた。
 

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そして宣告。

それからすぐに病気のこと、治療のこと、そして最適な病院はどこかなどを調べる。
そしてある程度調べている段階で、市民病院の担当医には別の病院での治療を考えてることを伝える。
更にPETの検査結果などがまだなので、その結果が出る際に今までの資料と合わせて紹介状をもらえるように頼んでおく。

今思えばこれが大きな運命の選択の一つとなったのだが、その時はまだそれが本当に正しいのか確証が持てず、不安ながらも自分の勘に頼るしかなかった。

一刻も早く先に感じた不安を払拭したかったが、なかなか資料や紹介状を用意してもらえず、再三電話で催促し、やっとのことで全てを用意してもらう。

5月26日。PETの検査結果も出たということで、今まで検査した全ての資料と紹介状をもらいに市民病院へと行く。
PETの検査結果には、悪性腫瘍の可能性やリンパ節転移の可能性などが記されていた。
しかし、担当医師はPET検査はあくまでも目安であり、信用性は低いなどといい、あくまでも良性腫瘍の診断を貫いていた。私はすでにその時点で担当医師の言葉を全く信じることが出来ずにいた。ただ単に、必要書類を受け取り次第すぐにでも他の専門病院へと行きたいとう気持ちしかなかった。

いろいろ調べ思案した結果、結局最悪のことも考えて『がんセンター』での診療を決めた。幸いその『がんセンター』は全国でもトップレベルの実績と技術を誇り、特に頭頸部の腫瘍に関しては日本屈指の名医がいるとのことだった。
もし仮に市民病院の診断が正しく、良性の腫瘍だったとしても、外科的に摘出するのならば、やはり経験豊富な名医に任せたいと考えてのことだ。

5月27日。早速紹介状と資料を携え、診察を受けに行く。
CTやPET、生検などの検査結果に目を通し、市民病院での診断はどうだったかなどを聞かれながら、こちらでも軽い触診などを受ける。
おそらくもうすでにこの段階で、どんな病気なのかおおよその判断はついていたのだと思う。
長年同じような症状を見てきただろうし、何せその筋の専門医なのだから普通の医者とは経験値がまるで違う。
それでも念には念ということだろうか、この病院でも生検をしてから最終判断をするということになり、またもや不安で眠れぬ日々を過ごさなければならなくなる。
その間にも調べられることは調べ、あらゆる可能性を考え、そしてどうすればいいかを模索したりもするが、結局は検査結果をただ待つしかなかった。

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ことのはじまり。

2009年2月頃、妻が左上奥歯に違和感を感じる。以前から多少の違和感があったようだが、今回は痛みを伴う腫れがあり、近所の歯科病院に行くことにする。
その場では詳しい原因はわからず、とりあえず様々な抗生物質を試していくという治療が始まる。その後通院を続けるが症状は改善する様子もなく、次第に我慢しきれないほど痛みが激しくなり、詳しい検査のため市民病院を紹介される。

初めて市民病院の歯科口腔外科を訪れたのは5月14日のことだった。診察が始まりすぐにその症状が普通ではないことが判明。すぐに詳しい検査のため、CTや生検手術を行うことになる。その後しばらくしてCTフィルムがあがってきた。それには左頬あたりに大きな腫瘍のようなものがあり、それが今回の痛みの原因であることは一目瞭然だった。それを見た妻はかなりのショックを受け、診察後すぐに私に連絡してきた。今の段階ではその腫瘍が良性が悪性か、検査結果が出るまでどんな病気かもわからないとのこと。この時点でガンかもしれない・・・と妻がもらす。

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