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再入院と不安要素。
7月3日。仮退院後、すっかり体調も戻り、いつもと変わらない日常を過ごしていた。
しかし、この日は先日の入院を思い出させる副作用が突然妻を襲ってきた。
朝起きると普通の抜け毛では考えられないほどの大量の髪の毛が抜けていた。紛れもなく副作用の『脱毛』だ。
その日を境に毎日大量の毛が抜け落ちていった。覚悟はしていたようだが、やはり女性だけにショックは隠せないようだった。
『シスプラチン』投与から18日目、仮退院してからから9日目のことである。
抗がん剤はその投与した種類の総量によって、次に投与するまでに身体機能の回復を図るため、決められた期間を空けなければならない。
次に投与できるまでしばらく間があるため一旦仮退院し、次の入院まで久しぶりの我が家を満喫して、心身ともにリフレッシュするはずだった。
仮退院してきた当初は、長く離れていた子供たちとまた寝食を共に出来るという喜びに満ちていた。
しかし、しばらくするうちに、体調が思わしくない時間が多くなってきた。むしろ入院前よりも悪いような気さえした。
癌細胞にはある一定のサイクルがあり、休眠期と活動期を繰り返す。
放射線治療などは、この活動期にあわせて治療すると効果的と言われており、薬などでサイクルを調整したりするところもある。
私は、もしかしたら妻の癌細胞が今その活動期にあり、腫瘍が大きくなる傾向にあるのではないかと考えた。
というのも、妻の癌細胞にしてみれば、何年か、もしかしたら何十年かかけてここまで大きくなったが、それまで特に何かされるでもなくヌクヌクと育ってきた。
しかし先日、生まれて初めて大ダメージを受けるような直接的な攻撃をされたのだ。
攻撃を受けてる間は、その効果によっておとなしくなったが、攻撃が一旦止んだことによって、反動をつけたかのように一気に活動期に入り活発化したのではないだろうか。
実際に、妻はどんどん腫瘍が大きくなっているような気がすると、眼の奥の痛みや頭痛などの症状を訴えた。
こうなると、何も治療をしていない今の状態が、妻の不安な気持ちにより一層と拍車をかけた。
そして一刻も早く治療を再開したいと願うようになり、また精神的に追いつめられるような悪循環へと向かってしまう。
次の再入院まで数日と迫っていたため、何とか励まし乗り切るしかなかった。
一時の幸せ。
6月15日。この日は抗がん剤による化学療法を始めて6日目で、いよいよ初めて『シスプラチン』を投薬する日だった。
『シスプラチン』は、今まで投薬してきた『5-FU』よりも強い副作用があり、嘔吐や脱毛は避けられないだろう。
これには個人差があり、なかには副作用があまり現れず、少し気持ち悪くなる程度で済んだり、ほとんど脱毛がないという人もいるらしい。
しかし、そんなものは一般的な話なわけもなく、あまり期待しすぎるとかえって辛くなる場合も考えられる。
逆に、普通よりも副作用が強く現れてしまう可能性も否定できないからだ。
こればかりは、実際に試してみないと誰にも予測できないことだった。
そして、そんな考えをよそに『シスプラチン』の投与は予定通り無事に済んだ。
あとはいつ、どの程度の強さで副作用が襲ってくるか待つだけであった。
もし自分のことならこんなに気を揉むこともないだろうが、変わってあげたくても出来ないことだけに落ち着かなかった。
もしかしたら、案外普通の人よりも軽くて楽かも・・・などという僅かな希望もその日の晩に見事に打ち砕かれた。
翌日見舞いに行くと、かなり疲労を感じさせる妻の顔があった。
毎日欠かさず顔を見に来ているが、この日が一番辛そうだった。
それから数日間は、本人も「生きてきた中でこんな辛い思いをしたことはない」というほど心身ともにボロボロになっていった。
6月18日。副作用で辛い中、途中経過を見るためにCT検査をした。
これは、抗がん剤治療を始める前に予定していたことで、放射線治療が可能かどうかの参考となるものだった。
結果として、残念ながらまだこの段階では腫瘍の縮小はほとんど見られなかった。
しかし考えれば当然のことだ、まだ1クール目の抗がん剤治療なうえ、『シスプラチン』投与からまだ3日しか経過していないのだから。
希望的化学療法。
6月14日。私は早速担当医に相談してみることにした。
すでに抗がん剤の全身投与による治療が始まっているため、予定通り1クール終わらせて、次の2クール目から『動注療法』を開始して欲しいとお願いした。
しかし、担当医師の口からは否定的な言葉しか出てこなかった。
医師としてはより根治性を増すためにも、見えざる癌細胞を叩くことを目的とした全身投与がしたいとのことだった。
確かに今のところ遠隔転移はないとされているが、検査では確認できないほどの微細な細胞がどこかに潜んでいる可能性は0とはいえないだろう。
そこで私は通常の『動注療法』での使用薬剤である『シスプラチン』や『5-FU』に加えて、つい最近使われるようになった『タキソテール』(ドセタキセル)を加えた3剤併用法を提案した。これはそれぞれの薬剤イニシャルより『TPF療法』とも言われていた。
『タキソテール』は乳がんなどでよく使用される抗がん剤だが、頭頸部のがんに対しても効果があることがわかってきている。
特に『動注療法』において、他の2剤は中和剤により全身に効果が及ばないのに対し、『タキソテール』は中和されないので遠隔転移した腫瘍にも効果があるのだ。
それでも担当医師は『TPF療法』による副作用の強さや、『動注療法』のカテーテル挿入で血管を傷つけると、外科手術や再建リスクが高まってしまうということを理由に、全身投与を続けるべきだという意見だった。
しかし、副作用については『シスプラチン』の全身投与に比べれば大したことはないはずであり、カテーテル挿入に関してもそこまで血管が傷つくとも思えない。
それに現段階でこの治療法を提案するということは、明らかに外科的手術ではなく放射線治療を望んでのことだ。
つまり担当医師はあくまでも外科手術をする方針を変更するつもりはないようだった。確かに『根治』を考えるなら確実性に勝る外科手術なのだろう。
担当医師としては完全に治すことがその使命であるのだから当然の選択だと思う。
しかし、もう少しQOLを考慮して欲しいと思った。
淡い期待。
6月13日。私はこの時すでに外科的な手術以外で考えるならば、どの様な治療がふさわしいのか、ある程度見当をつけていた。
それは『QOL』(生活の質)を損なうことなく、『根治』の可能性があるものだった。
あとは専門家の意見を聞き、それを踏まえたうえで更に検討を重ねるだけだ。
いくつかある選択のうちの1つとして、この病院でも可能な『トモセラピー』と『超選択的動注化学療法』(+TPF療法)による併用治療を考えていた。
この病院については、入院する前から調べており、放射線治療と『超選択的動注化学療法』との併用治療を行うことによって高い実績を残してきたことがわかっている。
更に放射線治療の設備も充実しており、『IMRT』(強度変調放射線治療)と組み合わせた『トモセラピー』も揃っていたのだ。
『トモセラピー』を簡単に説明すると、従来の放射線治療機よりも遥かに正確かつ確実に病巣を捉え治療することが可能になった最新設備で、これによって放射線治療による副作用も大幅に減らすことができるようになった。
『ライナック』などよりも多方向から照射するうえに、CTスキャンと高度なコンピューター制御により、照射範囲の精度も格段に増している。
現在のX線による放射線治療機器の中では、おそらくこれが一番効果が得られるだろう。
外科的手術以外を選択する治療方法を調べていた際に、私はいくつか妻に似た、むしろ妻よりも症状の重い患者が、この併用療法により完治した例をいくつも知っていた。
特に『超選択的動注化学療法』(※以下『動注療法』)は、頭頸部腫瘍において絶大な効果をもたらす化学療法だった。
その治療原理は実に単純で、腫瘍に栄養を送っている血管に対し、直接抗がん剤を流し込むこというものだ。それにより通常の全身投与よりも数百倍という濃度の抗がん剤が腫瘍に届き、抹消血管の隅々まで薬剤効果が行き渡るのだ。
更にあらかじめ中和剤を投薬することにより、全身投与よりも遥かに副作用を軽減できるという点も優れていた。
究極の選択。
6月11日。妻の両親が遠方より見舞いに来た。『がん宣告』をされたことを報告してから一週間ほど経過しており、それまで病状について間接的にしか情報が伝わっていなかったので、かなり心配していたようだ。
病院へ寄り、妻の見舞いを済ませたあと、義妹宅に集まり今までの経緯や今後の治療についての予定などを詳しく話した。
今のところ病院から提示されている治療方針は、抗がん剤投与による化学療法を行った後、外科手術により腫瘍を摘出するというものだ。
その外科手術方法や術後の状態については、前回述べたようにとても大掛かりなもので、誰もが閉口してしまうような内容だ。
やはり妻の両親もショックを隠せない様子だった。そして可能ならば、顔にメスを入れることのない放射線治療を行って欲しいという考えのようで、特に義父は外科手術には反対のようだった。
もちろん誰もが負担の少ない放射線治療で治るのならば、きっとそちらを選択するだろう。私も例外なくそうできればと考えていた。
しかし、『根治』という完全に治す観点から考えれば、外科的手術により腫瘍を物理的に除去してしまうのが確実なのは明白だった。
現にそういった考えが昔からあるからこそ、多くの場合は放射線治療より外科手術が優先されてきたのだろう。
もし放射線治療を行ったとしても、癌細胞がたった1つでも残こってしまうような結果になれば、それだけで治療失敗となってしまう。
細胞を1単位で見分けることは目視ではもちろん、様々な検査をしたとしても事実上不可能といってもいいだろう。
しかも、その効果のほどには個人差があり、実際に癌細胞に照射してみないことにはどうなるかわからない部分もあった。
だから放射線治療は、治療前の『治るかどうか』を含め、治療終了後の『治ったかどうか』についても、その後しばらくしないと判明しないのだ。
そんな一種の賭けともいえる治療方法に、なんの確実性も見出せない今の状況では、すぐに飛びつくわけにはいかなかった。
だからもっと調べると同時に、放射線治療についての可能性などを専門家に聞いてから決めるべきだと考えていた。
そしてもし、徹底的に調べ、考慮した末に、どう考えても外科手術しか助かる方法がないとなった場合には、覚悟して臨むしかないだろうと思っていた