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上顎洞癌になった日から。

若くして上顎洞癌(じょうがくどうがん)という難病になってしまった妻をもつ夫の記録です。 この難病を生活の質を保ちつつどう治療し、克服するのか?この体験記を通じて同じ病気になった人への生きるヒントになれればと思います。

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  • 11/21/14:17

近況

最後の更新から、一体どれ程の時が経過したのだろうか。
そして、どういった状況で最後の更新を終えていたのか。
現在までの経過を振り返るために、久し振りにブログを確認してみる。

そして、現在の状況とさほど変わらないことに失望する・・・

いや、物理的な意味では悪化しているのかもしれない。
あれから1年以上経過してきた中で、『慣れ』という精神的作用が感覚を鈍らせてしまっているだけなのだろう。
普通に考えて、これほど強い炎症がこうも長く続くのは異常だと言える。
もちろん放射線の影響だとしてもだ。
その炎症は、日常生活もままならないほどに強く、頬の腫れや痛みのほか、視力の極端な低下に加え、全身の痛みにまで至った。
そうかと思えば、次の日には頬の腫れも痛みも消えて顔もスッキリとし、すこぶる体調が良い。
何がきっかけでそうなるかもわからず、その波の激しさに「明日はどうなるのか・・・」と、本人は不安な日々を過ごすし、それが更なるストレスを生むという悪循環が続いていた。

それでも、今日という日に至るまで、様々な苦悩を抱えつつも、ひたすら耐え、定期的に各病院へ通院という日々を過ごしてきた。
しかし、そういった普通とは言えない身体では、いつか不安でしかなかったものも、現実的な症状となっていく。
おそらく、後になって冷静に考えれば、誰でもわかることだったのだろう。
不安定ながらも微妙なバランスで保たれていたものが、ほんの少しのヒズミやズレがきっかけとなり、大きく崩れだす・・・
ここ最近は、そういったことを目の当たりにしたような日々だった。

まず先に、現在までの状況を簡潔に述べてしまうと、この3ヶ月の間に入退院を3回繰り返し、そのうち2回手術をしている。
今現在は退院しているが、まだ帰宅して1週間ほどだ。

あれだけQOLにこだわっていたのに、結局外科的な手術をしたのか?
そんな言葉が聞こえてきそうだ。

確かに結果として手術はしたが、まだQOLを重視した姿勢は崩していない。
つまり、顔には一切メスを入れていない。
最初に「1年前とほぼ変わらない状況」と書いたが、外見という美容面ではむしろ良くなったほどだ。

ただやはり、炎症は続いている。
しかし、ここ数日は3回目の入院が功を奏したのか、ピーク時に比べればまだ制御できているといえた。

どうして手術をしたのか、どんな手術なのか、なぜその後入院したのか。
そんな疑問を持たれる方もいるだろうが、それは後日ということにしたい。

ついでに言うならば、近々にもう一度別の手術が控えている。
もちろんこれも顔にメスを入れるようなものではないが、そういったことも含めて、次の機会に詳細を記したいと考えている。

全てが終わり、落ち着くまでもうしばらく時間が必要かもしれないが、今回は取り急ぎ「近況報告」ということで、どうかお許し願いたい。
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副作用と急変 (中編)

6月22日 いよいよステロイドの服用による治療が始まることになった。
服用するステロイドは『プレドニン』という内服ステロイド剤では最もポピュラーなものだ。
I 先生の治療方針により、なるべく服用期間を減らすべく、通常の投薬量よりも少ない治療方法が行われる。
通常の最初の投薬量は1日あたり20~60mgであるが、まずは20mgが投薬され、その後病状の経過とともに早い段階から服用する量を減らして行く。
こうすることで、数週間から1~2ヶ月ほどという非常に短い期間でステロイド投薬を終えてしまおうというのだ。
おそらく今回の病状に対して、必ずしもステロイド投薬が最善であると言い切れないことからそう判断されたのだろう。

妻の症状は通常の病気からなるものとは異なり、放射線による副作用と腫瘍の残存という極めて特殊なケースだ。
しかし、そういった特殊な症状だが、炎症が原因であることは確かであるため、ステロイドは効果を発揮するものと思われる。
だが、万が一効き目がなかった場合、安易にその治療をやめて次に移ることが出来ない。それがステロイド治療なのだ。
そのリスクを少しでも軽減しようと、様子を見ながら慎重に行う。

ステロイドは服用中の副作用も辛いが、減らして行く過程が一番辛いらしく、そこでもまた別の副作用が発生する。
もちろん個人差があるが、とてつもないダルさで立っていられなかったり、精神的に不安定になり鬱を併発する人も多いという。
しかも、一度ステロイド治療を終えたからといって安心できるわけでもなく、すぐに再発するケースもあり、その度に服用を再開しなければならず、結果としてまた同じ様な副作用の苦しみが繰り返されてしまう。
これでは折角病状が治まったとしても、苦しみという点では解決されたとは言えないだろう。
それらステロイド投薬によるメリット、デメリット踏まえながら、両天秤にかけつつ有意な方を選択していかなければならないのだ。

6月23日 妻は前日処方されたステロイド『プレドニン』を服用した。
その効果は比較的すぐに現れたようで、ある程度炎症が治まり、それにともない痛みも緩和していった。
妻もここまで早い段階で如実に効果が実感できるとは思っていなかったらしく、ステロイドの薬効の強さに驚いていた。
だがそれと同時に、ここまで強い薬だと副作用もやはり強く出てしまうのでは?と不安を隠せない様子だった。
妻は、私が恐れていた病的な副作用よりも、脂肪の異常沈着やムーンフェイス(顔の異常なむくみ)が非常に気になるようで、その辺りはやはり女性故の思考なのだろう。
とりあえず、妻の症状に対しても、ステロイドの服用による治療は一定の効果をもたらすことが証明され、一安心といったところだった。

6月29日 眼の炎症もステロイド服用のおかげで完全ではないが治まりつつあり、見え方や痛みもだいぶ改善されつつあった。
今日も検査の後、ステロイドを処方されたが、症状が改善されてきているということで、早くも離脱を前提とした量に抑えられていた。
ステロイドは服用を続けていたとしても、その量や期間によってほとんど副作用を出さずに済ませることができる。
妻は、症状改善を第一としながらも。ステロイドの副作用をなるべく受けないスケジュールでの服用方法で治療が行われていた。
初めの一週間は一日合計20mgで朝15mg、昼5mg、次の二週間目は一日合計15mgで、朝10mg、昼5mgといった具合に徐々に減らして行き、最後には5mgを一日おきに服用するのみになる。

7月3日 定期検査のため陽子線センターへPET-CTの検査に行く。
PETを行うのは何回目だろうか、妻も馴れたものである。
数時間かけて検査を終え、しばらくすると検査結果が出る。
そしてそれを元に主治医の診察、説明へと移る。
今回の検査結果も特に腫瘍の拡大や癌細胞の転移は見られず、良くもなく悪くもない、ほぼ現状維持といった具合だった。
ただ、PETによる腫瘍部の発光が多少治まっている様に感じられた。
これはおそらく、眼の治療のために始めたステロイド投薬の影響で、頬の炎症も少なからず抑えられたからだろう。
妻の左頬内側は治療から一年近く経過しているにも関わらず、炎症が完全に治まると言う事はなかった。
だからこそ、今回のように眼に対して余計な症状が副作用として現れたのだ。

当初主治医であるN先生の話では1年もすれば炎症は自然に治まるだろうと言うことであった。
しかし、まだまだ炎症が治まるような気配は感じられない。
私は、いかに今回の妻の病気が特殊なものか思い知らされた。
この炎症が治まらない限り、例え眼の症状が良くなったとしても、すぐにまた再発したり、他の部位で新たな病状を併発する可能性がある。
このまま自然に任せたとして、あとどのくらいで炎症が治まるのだろうか。そもそも放置したままで回復するのだろうか。
N先生は、今までの経験から炎症が治まる時期を推測したのだと思うが、おそらく妻と同じケースは経験がないだろう。
なにしろ陽子線を限界値まで照射した良性腫瘍が残存しているのだ。
その腫瘍を物理的に取り除くか、抗炎症剤投薬など、何らかの治療をしなければ症状は緩和されないように思われる。
もし自然治癒で炎症が治まるにしても、ひょっとしたら何年もかかるのではないだろうか。
しかし、今後どのような経緯を辿り、結果としてどうなるかは誰にもわからないのだ。
それは同じ様なケースがどこにも存在せず、比較することもできないため、似たようなものから想像するしかないからである。

私は、そんなに長期間に渡って副作用が続くようならば、何らかの対策をしなければならないと感じていた。
例えば物理的に取り除くにしても、当然QOLを重視したものを選ばなければならない。
旧式の副鼻腔炎手術方式や口内上顎切開の様な顔にメスを入れない方法など、調べればいくつかの選択肢は存在する。
だが、妻への適用が可能か、どの程度の回復ができるか、実際の美容面ではどうかなど、詳細については直接病院に赴かなければわからないことだ。
また、投薬による炎症回復についても新たな治療法があるかもしれない。
例えとしては少し違うが、慢性的な副鼻腔炎を治すには、その炎症を抑えるために通常よりも少ない量の抗生物質を長期間投与することで完治させたりする。
そういったまだ調べきれていない治療法が有効である可能性も捨てきれないのだ。
ただ、今はまだその時期ではないだろう。
少なくとも今は眼に関する治療を優先し、早急に完治させるべきだ。

7月13日 ステロイドの投薬を徐々に減らして三週間が経過したが、この日の検査で思ったより症状が改善されていないことが判明。
本人も投薬が始まってからと比べて、眼の痛みや見え方があまり良くないと訴えていた。
だからといって、ここでまたステロイドの投薬量を増やしてしまうと、副作用が強く現れてしまったり、薬からの離脱がより困難になってしまう。
そこで、眼に直接ステロイドを注射することで、症状の改善を目指すことになった。
眼に注射をしたことのない妻は、相当痛みがあるものと思ったらしく恐怖に怯えていた。
私が点眼麻酔で痛みはないことを伝えると、幾分気持ちが楽になった様だったが、やはりそれでも落ち着かない様子だった。
例え痛みが無かったとしても、針が直接眼に刺さる感覚や様子が見えるのだから、あまり気分の良いものではないだろう。
何とか無事に注射も終わり、ステロイドも減らす方向で処方された。
その後、麻酔が切れた頃に、針を刺した部分が多少痛むようだったが、炎症はまた改善され、その他の症状はゆっくりだが回復しつつあった。
眼注ステロイドの投薬量については、まだプレドニンを服用中ということもあって、通常の半分の量であった。
以後はプレドニンの服用から完全に離脱しつつ、その後も炎症の様子を見ながら一週間毎に投薬していく予定となった。

7月27日 今日は3回目の眼注射を行う予定であった。しかし、検査により角膜表面に今までない大量の細かい傷が付いていることが判明し、急遽取り止めとなった。
I 先生は何故急にその様な傷が増えたのか不思議な様子だったが、私には一つ心当たりがあった。
それはおそらく眼帯が原因と考えられた。
妻の左眼は強い痛みは緩和されたものの、症状的にはまだまだ回復途中であり、日によっては大きく腫れたりしていた。
また、左眼周辺は刺激物を避ける意味で化粧ができない。
そういった理由から、その部分を隠すために最近妻はよく眼帯をするようになっていた。
では何故眼帯をすると角膜に傷が大量に付くのだろうか?

それはドライアイなどの症状を考えれば簡単にわかることだ。
通常、健康な人の眼は多少の傷ができても一晩寝るだけでほぼ回復する。
それは眼細胞の特殊な性質からもそうだが、正常に涙が分泌されているからこそである。
その涙が正常に分泌されないと、眼が乾いた状態になり、眼表面が傷つきやすく、瞬きをするだけでどんどん傷が増えてしまうのである。
眼の表面は神経の塊の様なもので、ちょっとした傷でも強い痛みを伴う。
瞼は車で言うワイパーの役目だが、表面が濡れて涙が綺麗に乗っていないとスムーズに働かず、逆に傷つけてしまう。
妻も、炎症の影響から涙などの分泌物が非常に少なく、傷つきやすいうえに、回復力も遅かった。
更に瞼の裏側が炎症の影響でザラザラとした状態になっていたので、瞬きの度に角膜を傷つける。
それを眼帯で物理的に押し付けてしまえば、更に傷は深くなるものと容易に推測できた。

現に、先週の検査にはなかった傷が、その後眼帯を使用するようになって今回のような結果になっているのだから疑う余地はないだろう。
とにかくこの傷を治してからでないと眼注射はできない。
かと言って、角膜補修を促すヒアレインなどの薬では、今までの経過から効果がないことがわかっている。
そこで、I 先生の提案により角膜補修能力のきわめて高い『自己血清点眼』を作り、試してみることになった。

【続きはこちら】

副作用と急変 (前編)

9月に入り、もうすぐ陽子線治療を終えてから1年が経過しようとしていた。
ここまで来るのに決して早かったとは言えなかった。
それは例えどんな治療をしたとしてもそうだったと思うが、癌に対する治療を完了させればそれで全て終わりというわけではないからだった。
本格的な癌の治療を終えてからも、経過観察や検査はもちろん、治療による副作用の対処が続く。
健康時にはほとんど病院には行かなかったが、今では週~月に何度も病院へ通わなければならない日々を送っている。
特に今症状が悪化しているのが眼だった。

ことの始まりは5月のGWが開けた後、5月7日の夜唐突に起こった。
妻が夜中に急に起きだし、動揺した声で「眼が見えなくなってる」と言い出した。
詳しく聞くと、完全に見えないといわけではなく、放射線を当てた左眼だけ視界が中心から大きく四角い灰色で遮られたようになりほぼ見えない状態というのだ。
以前から眼の調子が良くないとは言っていたが、その日の昼に市民病院で検査をし、『異常なし』といわれてきたばかりだった。
しかし、その日の夜にそのような今までにないような症状が現れ、妻は半ばパニック状態だった。
放射線治療の際に、副作用として眼が見えなくなる可能性もあると聞かされていたから余計に不安だったのだろう。
いよいよその日が来てしまったのかと思ったのかもしれない。

私はすぐさま詳しい症状をもとに、何が起きているのか可能な限り調べた。
緊急性のあるものだった場合は深夜だろうと病院へ行かなければならない。
だが症状を詳しく聞くと、視界が遮られているという以外は、強い痛み、頭痛や吐き気などもないようで、急激な眼圧上昇やその他緊急を要するような症状にはあてはまらないようだった。
しかし今回のような症状は初めてであり、念のため緊急病院へと行くべきかどうかと思案していると、徐々にだが視界が戻ってきたという。
妻も気持ちが落ちついたようで、朝になったら病院へ行くと言うことになった。
その時に調べた中で原因として考えられたのは、視神経の異常、もしくは網膜のトラブルだった。
しかし不可解なのは、市民病院で視神経や網膜の検査をし、異常なしと言われたその日の夜にも関わらず、そんなにも急激に症状が悪化するものだろうか?
もしかすると、やはり緊急性のある病気なのではないか?それとも病院での検査で見落としたものがあったのか?もしくは通常の検査ではわからない特別な病気なのか?
いずれにしても今の段階ではわかるはずもなく、このことを妻に話したところで不安にさせるだけだと思い、数時間後の朝一番に病院へ行くことにした。

次の日、本来ならば今まで経過観察してもらっていた市民病院へと行くべきなのだが、この日は生憎土曜日ということで休診日だった。
そこで土曜日も診察している地元での評判が良いK眼科を調べ、そこで診てもらうことにした。
K眼科は非常に混んでいて長く待たされることになったが、大変丁寧に診てもらうことができた。
今まで市民病院では見落とされていた細かい病状も発覚し、対処してもらうことで症状も緩和した。
しかし、残念ながら視界が灰色に遮られる原因を特定することはできなかった。
結局ここでの検査では限界があり、改めて市民病院で詳しい検査をすることになった。

後日、市民病院では、今まで担当していた医師ではなく、眼科の責任者である眼科医部長に診てもらうことになった。
K眼科での資料に加え、今まで行っていなかった検査の結果をもとに診断を受けるが、いずれも否定的な言葉ばかりで、結論として原因は全くわからないどころか、しまいには精神的な思い込みから見えないのでは?とまで言われてしまった。
その言葉に閉口しつつ、もうこの病院で診て貰うことはできないと思った。
妻は以前から市民病院に不信感をもっていたが、私も同じ気持ちだった。
今までの経過観察や検査も適当だったのではないかと勘ぐってしまうほどに。
現に市民病院の通院中では異常ないとされていたある症状を、K眼科では指摘され、その対処によってその症状が緩和したのだから。

いずれにしても、これ以上詳しい検査をするのは無理だと言われたからには、もっと他に設備の整った病院で診てもらうしかなかった。
問題はどこの病院にするかということだったが、調べてみても中々ピンとくるところが見つからなかった。
というのも、妻の場合は普通の症状とは違い、少し特殊であるといえるからだ。
自然に起こる病気ではなく、おそらく大きな原因は放射線治療における影響からであり、そう考えると放射線による影響も考慮できる医者が好ましいと思えた。
そういった、放射線治療による副作用を受けた患者を診たことのある医者を探すには、その道に詳しい人物に直接聞き、紹介してもらうのが一番だと考えた。
そこで私は妻の担当医であるN先生に直接電話で聞き、紹介してもらうことにした。
この頃、妻の眼の症状は一向に良くなる様子はなく、逆に悪化しているように感じていた。
視界うんぬんよりも痛みが強くなっているのが心配された。

これまでの症状や経過を以下にまとめる。
まず、一番最初に起きた大きな症状は、左眼の視界が大きな四角い灰色で遮られほとんど見えなくなるというもの。
これは寝起きの時にだけ起こる症状で、眼を覚ましている状態で突然視界が遮られるということは起こらない。
ただ単に眼を閉じた状態の後では起こらず、脳が睡眠状態に陥った後のみ症状が現れるようである。
視界を遮っている四角い灰色には血管が走ったように見え、その部分は薄っすらと明るいという。
視界は時間の経過とともに回復し、通常の状態に戻る。
眼は次第に痛みが増し、ピーク時には眼が開けていられないほどで、何も出来ずただ痛みに耐え横になって安静にするしかない日もあった。
瞼は大きく腫れ、強い炎症が起きている。
白目がむくんだ状態で、ブヨブヨとしたものがはみ出している。(結膜浮腫)
急に暗い場所へ行くと左眼だけかなり見え難くなる。
色も微妙に感知しづらいようで、左眼だけで見ると赤みが抜け少し灰色がかったように見える。
光がかなりまぶしく感じる。
これまでの病院側の対処は、角膜補修「ヒアレイン」、抗菌点眼薬「クラビット」、ステロイド点眼薬「フルメトロン」の処方のみ。
どの様な症状を訴えても、この三種類の目薬しか出せません、と市民病院では言われた。

【続きはこちら】

平穏な日々と再発の恐怖

2010年4月中旬。
今年の1月に経過報告をしてから、徐々にではあるが副作用を含めた症状が緩和してきていた。
体調はもちろん精神的にもすっかりほぼ以前と変わらない、まさに平穏な日常を過ごせるまでに回復しているように思えた。

ただし100%回復したと言えるまでにはもう少し時間が必要だろう。
やはり、日々の体調によっては、症状的に大きくはないものの治療前の健康時にはなかった顔の腫れやむくみ、鈍痛などを訴えるし、抵抗力の低下からか風邪などの軽い病気にもかかりやすくなっていた。

しかし、まだこの短期間で100%の回復は多くを望みすぎなのかもしれない。
日々症状は改善されつつあるのだし、見た目的にも治療後と比べると以前と変わらないまでになっていた。
事情を知らない人からすれば、顔半分に放射線治療を受けたなんて想像すらしないだろう。

私はこのまま時間の流れとともに、それら全ての症状が改善し、いずれ近いうちに本人が完治したと思えるようになると考えていた。
それは、ここまで順調に回復してきていたからこその考えであり、当初からの予定通りと言えるからだった。

しかし、全てが順調で、平穏に時が流れてしまうと、ほんの少し前に味わった恐怖や苦悩など忘れてしまったかのように生活してしまう。
もちろんそれは悪いことではない、むしろとても良いことだと思う。
精神的にも安定し、これから良い方向へと改善していくためにいい循環を生むだろう。

心配なのはその平穏に亀裂が生じた時だった。
症状が悪化したり、何らかの異常が発生した時に、それまで順調だっただけに余計に不安になり、情緒不安定から症状悪化となる悪循環を生みかねないからだ。

そんな余計な心配ともいえる不安というのは何故か的中率が高い・・・

最近になって妻が左頬あたりの違和感、鈍痛を訴えるようになっていた。
以前にはなかった症状で、放射線治療による副作用ではなかった。

治療後は抵抗力が弱くなったことから、口腔内における何らかの感染による炎症がよく起こっていたので、私は今回も何らかの炎症の類ではないかと思っていた。
だが、その症状を妻に詳しく聞いてみると、どうもいつもとは明らかに違うという。
妻は腫瘍が大きくなっている感覚がするとしきりに訴えていた。
つまり『再発』しているというのだ。

私は非常にまずい状況にあると思った。
それは『再発』の可能性に対してではなかった。
妻がそう思うことで精神的に不安定になてしまうことが悪循環を生み、より危機的状況を招いてしまうことを恐れたのだ。
現にその症状を訴えるようになってからは、日々症状の悪化を口にし、食欲も減退、精神的に鬱に近い状態になっていた。

人には精神的に体調に影響を受けやすい性質(体質)と、あまり影響のない人とに分かれる。
「病は気から」という、いわゆる『プラシーボ効果』が良く効く性質の人間は前者にあたり、妻はまさしくそうであった。
私はその妻の性質を逆に有効利用しようと、治療当時に『サイモントン療法』を薦めたが、関連書籍を読んだものの長く続けることはできなかった。
『サイモントン療法』はその思い込みの強さとも言える性質も大事だが、なによりコツコツした一見無意味とも思える地味な事を続けられる人間ではないと効果はない。
本人が無意味ではないかと疑問を感じてしまった時点で、本当に無意味になってしまう。

妻はまるで『癌』と診断された当時の様な、不安と恐怖に苦しんでいた。
私はその不安を取り除くように、別の可能性を示すしかなかったが、本人が一旦深くそう思ってしまったことを変えるには別の方法しかなかった。

私は、ちょうど一週間後に定期検査が迫っていたので、その時にこの症状に関する詳しい事柄が判明し、解決するだろうと考えていた。
信頼する先生に診断してもらい、再発の可能性を否定してもらえれば、これ以上の安心はないだろう。
妻は不安ながらも同意し、それまで何とか日々を乗り切るとした。

妻は私に対しては日々の症状や、不安、どう思っているかを些細な事でも素直に何でも話してくれる。
しかし私以外に、例え親兄弟であっても、病気に関して不安を抱かせるような事柄を話すことはない。
それは自分以上に心配や不安を抱かせることになるとわかっているからだ。
だから、自分が体調が悪かったり、不安でたまらない状況だとしても私以外にはその様な素振りを見せないようにしている。

今までも症状が回復してきているとはいえ、完全に回復しているわけではないのだ。
日々なんらかの体調不良があり、朝その症状について私に話してくれる。
今日は腫れがほとんどない、今日は炎症が少しある、今日はジクジクした感じがする・・・など。
それでもそれを周囲にグチることなく日常を過ごしているのだけなのだ。
きっと周囲はもうすでに病気の影はないと思っているかもしれない。
もしかすると完全に健康体に戻っているとさえ思っているかもしれない。

一般的な『癌』の再発率はその種類にもよるが、治療後1年半~2年までに90%以上といわれている。
妻はその大部分が良性腫瘍であるとされているが、悪性部分もあり、治療後まだ1年に満たず、わずか半年を経過したにすぎないのだ。
治療すればそれで終わり、あとは回復するのみなどという簡単なものではない。
まだまだ不安は続く、だからこそ治療後何度も検査したりするのだ。
少しでも不安を解消しようと・・・

【続きはこちら】

今までのこと、これからのこと。

2010年1月中旬。
陽子線治療を終え、退院してから3ヶ月以上が経過していた。
上顎洞癌と診断され、顔にメスを入れずに完治させるための治療を行ってきた。
しかし、予想外ともいえる結果により、顔の腫瘍が完全に消失することはなかった。
もしこれが当初の診断どおり『上顎洞癌』であれば、おそらくベストの治療であり、腫瘍は完全に消失するはずだった。
その為に今まで最善を尽くし、奔走してきたのだ。
だが『上顎洞癌』という病気自体が違っていた。

もともとこのブログは、『上顎洞癌』に対する情報の少なさから始めたものだった。
ここで自らの体験を公表することで、同じ様な状況の人に役立ててもらうとともに、逆にこちらが知らない情報を得るためにも活用しようとの考えがあった。
だが、今回このような特殊ともいえる状況となり、このような稀なケースが誰かの参考になれるとも到底思えず、更新することへの意味を失っていた。

結果として中途半端に投げ出されたようなかたちで更新がストップしたままになり、気が付けば年を越していたのだった。
このままでは何とも歯切れの悪く、心情的にも心残りだったため、近いうちにまとめたいと思っていた。
それに、ひとつ報告しておかなければならないこともあった。

それは放射線治療による副作用についてだ。
もちろん放射線治療によって起こり得る副作用は、事前に調べて知っていたし、治療前には医師からも説明があった。

しかし、はっきり言って甘く見ていた。

事前に知識として知っているのと、実際に目の当たりにするのとでは大きな違いがあると改めてわかった。
しかも、通常の放射線治療とちがい陽子線による治療であることから、副作用はかなり軽いものと思い込んでいたのだ。
実際に同じ部位に同じ治療をした人を知っていたら、どの程度のことが起こるか、その度合いや期間などの細かい情報が得られたのだろう。
しかし、安易にその症状を解釈し、治療後はある程度の副作用があるものの、症状は比較的軽く、早い段階で治療前の状態に戻れるものと楽観視してしまったのだ。

治療さえすれば、すぐにもとの健康な状態に戻れると。

放射線治療の副作用から回復するためには、個人差もあるが少なくとも半年から一年ほど時間がかかることは調べて知っていたはずなのに、退院の日にはやっと治療が終わったという安堵感からか何故かそう思い込んでいた。

現在、治療が終了してから3ヶ月以上が経過している。
当初はリンパ節にも照射したため、リンパ浮腫のような状態になり、そのリンパの流れの悪さから顔の左側だけむくみが激しく、朝起きた時には腫れ上がったようになっていた。
今はそのむくみも手でリンパの流れを促してやることによりほぼ解消してきた。
その他にも、むくみとは違った腫れを伴うことがあり、特に風邪気味になるなど体調を崩すと如実にその症状が現れた。
おそらくウィルスや細菌による感染が炎症を起こしていると思われる。
他の部位と違い、治療した部分は非常に感染しやすい環境にあり、これは今現在でも日によって症状が大きく出たりもする。
この腫れが大きいと開口障害もあり、食事のときに大きなストレスを感じるようだった。
また頻度は少ないものの、腫れのせいで神経を圧迫されるためか、唇のしびれを訴えることもあった。
眼球は照射により細かな傷が付いてしまい、視力の低下や物が二重に見えてしまうといった障害が起こっていたが、しばらく眼科に通院することで比較的早い段階で回復した。
しかし、何も無い時でも頻繁に涙が出て止まらないという症状が以前続いている。
本来涙を排出すべき腺が、照射により障害を起こしているためと考えられる。


だが全ての症状が、少しずつではあるが日々回復している。
このまま普段どおり健康に気をつけながら日常生活を続けていけば、半年から1年ほどでほぼ回復するのではないだろうか。
そうわかっていても、やはり本人からしてみれば毎日のことであり、例えば1年後に必ず完治するとわかっていても、今日明日のことこそが一番大事な現実だろう。
「気にせず気長に待て」なんて言葉は酷かもしれない。
そういう意味で誤算だった。
しかし、最近では本人も少なくとも半年は我慢して様子を見ようという気持ちに切り替わってきたようで、精神的に楽になったようだ。
これから病状はもちろん、副作用についてのケアも考えながら経過観察していこうと思う。

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